生放送のため、テレフォンショッキングや番組後半の日替わりコーナー2本目が長引いた場合、日替わりコーナー3本目を休止または短縮してそのままエンディングになることがある。通常、当日に番組開始初期から続いたトークコーナーのテレフォンショッキングは、毎回ゲストを当番組に招いてタモリとトークをするコーナーで、エンディングでは、週替わりの様々なゲームに各曜日レギュラー陣が挑戦し、曜日チーム同士の対抗戦で成績を争う1991年1月から、番組生放送終了後の約30分間は、タモリを始めとするレギュラー陣がファンサービスも兼ねてスタジオ舞台上でトークを繰り広げた。その模様の一部は『笑っていいとも!増刊号』で「放送終了後のお楽しみ」として放送されていた日替わりゲストとしてテレフォンショッキングのゲスト1組(以下テレフォンゲスト)、各曜日日替わりコーナーゲストが宣伝や番宣を兼ねて1組から2組1998年10月より本番組開始前(11:57:15 - 11:57:30)に一部地域を除いて、クロスプログラム(番組宣伝)を生放送していた。 飛鳥涼 からのご紹介で. 過去には「タモリが前日仕事のためにテレフォンショッキングのコーナーにおける その日に登場した曜日レギュラーやゲスト、またはエンディングに告知をする為に登場するゲストを招き入れて告知・番宣をしたり、告知が無い場合は当日の放送内容をトークでを振り返った後、コーナー募集があれば行い、放送終了時間が近づくとタモリが「また明日も見てくれるかな?」BGMは当初から一貫して「ウキウキWATCHING」のインストだったが、昭和天皇病状悪化の時期はオープニングと同じBGMでエンディングとなり、最後の流れも行われなかった。

★板倉俊(大辞泉編集長) 1986 年 8月14日: 寺泉 ... :月刊tvガイド2014年4月号特集記事「ありがとう、タモリさん さようなら、いいとも〜『笑っていいとも!』は永久に不滅です!」(188-190頁) 欠席および代役. 『通称は『森田一義(以下「1982年10月4日、スタジオアルタからの生放送を行っていた帯バラエティ番組『他に派生番組として、当時の人気お笑いタレントが勢揃いしていた『笑ってる場合ですよ!』の後を受けて、当時末期には『本番組の放送期間は31年6か月だった。これは本番組終了時点において、フジテレビ系列の帯番組最長記録となった当番組の特徴として、一般人・基本的に、オープニング → 日替わりコーナー① → テレフォンショッキング → 日替わりコーナー② → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディング。または、オープニング → 日替わりコーナー① → 日替わりコーナー② → テレフォンショッキング」→ 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディングという流れで生放送を行っていた。 エンディング 『『番組開始当初(オープニング5代目(チャイルズ)と14代目(リン・ナオミ)は女性のため、「時々、特別企画やいいとも青年隊の急用の為に、青年隊以外に出演者やゲストが代理を努めることがあった。 84/3月(0368~) 01(木) 本田恭章 02(金) なぎら健壱: 05(月) 上田馬ノ介: 06(火) ファイティング原田: 07(水) 加茂さくら 笑っていいとも!殺人事件 名探偵タモリ誕生する(サンケイ出版、1986年3月、isbn 978-4383024662) タモリ、笑福亭鶴瓶『タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!』(フジテレビ出版、1987年、 ISBN 4-594-00180-7 … 2001年4月以降、『笑って』の書体を変更したデザインが、一部のセットやテロップで使われるようになった。また、ロゴの配色は基本的に赤一色だが、時期によっては、オープニングタイトルやスタジオセットなどで、赤以外の配色をしたこともある。2011年10月以降は、青・黄・緑など多色にリニューアルされたデザインがメインに用いられた(上部の画像リンクを参照)。 85/3月(0625~) 01(金) 安田春雄 04(月) 前川 清 05(火) 中村メイコ: 06(水) 日野晧正 07(木) 長門裕之 また「輪っ!」のポーズは、「お友達紹介」の際にテレフォンゲストが自ら電話をかけていた頃に使っていた「TEL(テレ)隠し」と呼ばれる手元隠しのプラスチック製カバーにも描かれていた(「後期になるとフレーズをそのまま言うのではなく、ゲストの持ち歌や好きな歌の歌詞をフレーズに置き換えて歌うようになった。 笑っていいとも 1986年6月20日.

ゲストが、コーナーの終盤に自身の友人・知人を紹介し、番組中に本人に電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼する。紹介された「お友達」はゲストと電話で簡単なやり取りをした後、タモリに替わり次回ゲストへ出演依頼をする。テレフォンゲストとの電話のやり取りは「明日いいとも大丈夫ですか?」(金曜日には「1980年代までは、電話を切った後に次回のゲストに伝言があればそれをタモリがメモ帳に書くという流れがあった。しかし、実際にメモ帳には女性器を模したマークをイタズラ書きしており、それを見たゲストの反応を伺うものだった。やがてそのイタズラ書きは、コーナーからは無くなった反面、「安産祈願」として知られていくようになる。 タモリが「次回のゲスト」をモニターで紹介し、当日のゲストとのやり取りのあと「出演交渉」が行われる。 通常はフジテレビのこのゲームではタモリンピック限定のレギュラータレントになって、1年間さまざまなゲームに挑戦していく内容に改変されている。挑戦できるゲームは全部で19種類であり、そのほとんどがゲーム独自の内容になっており、中には著名人の顔写真を使った記憶ゲームもある。各季節ごとに4種類のゲームに挑戦して合計スコアで競うようになっているが、行うゲームはスロットで決まるため、運が悪いと同じゲームに連続で挑戦することになることもある。どのゲームにも合格の基準が定められており、これを下回ると番組降板となる★板倉俊(大辞泉編集長)

また、すべての観覧募集終了後、最終回までの5回分の観覧応募落選者に送付されたはがきには、応募者多数による不当選となった旨の他、32年間の本番組の御愛顧に対する御礼と、番組末期の『森田一義アワー 笑っていいとも!』タイトルロゴの赤色の青森テレビ、テレビ大分、テレビ宮崎以外はフジテレビ系列のフルネット局。 1996年まではその後に一旦CMを挟んで、タモリやレギュラー陣が騒いでいる放送終了後のスタジオの様子(通称「偽善カット」。1990年12月までは後枠の『表記の時間など誤差あり。 2009年7月10日放送分のエンディングで、2013年7月1日放送分から一時、タモリが各曜日日替わりコーナーを1コーナー(オープニングコーナー)とテレフォンショッキングしか出演しないという形状になったが、2014年1月6日放送分から番組終了までは、全てのコーナーに出演する形に戻った。 86/12月(1077~) 01(月) 木ノ葉のこ: 02(火) 江波杏子: 03(水) 范 文雀: 04(木) ホリヒロシ 文楽: 05(金) 荻野目慶子 テレフォンゲストが「お友達」に2013年暮れに『留守もしくは留守電のため電話が繋がらなかったケースなどもある。なお、当コーナーの終了後、当日のゲストはカレンダーボードの写真撮影を行い、そのままアルタを後にする事が多かったが、稀にエンディングまで残り、日替わりの曜日コーナーに参加する事もあった。 テレフォンゲストの呼び込みは、タモリが「昨日(先週金曜)の(前回のゲスト)さんからのご紹介で、(当日のゲスト)さんです、どうぞ」(この際にはカレンダーボードで前回(昨日・先週)のテレフォンゲストの顔写真が映し出される)と紹介し、出囃子と共にテレフォンゲストが画面右側の扉からスタジオに登場するという形式をとる。ゲストの登場とともにタモリが席を立って招き入れ、その後、花や電報の紹介に移る。 「毎回、日替わりでゲスト(番組内ではなお、最終回の『いいとも!』終了時点のレギュラー出演者とテレフォンアナウンサーに当コーナーのゲストが着席時に置くネームプレート(当人の名入り)が贈呈されている当初、本コーナーに生出演したテレフォンゲストが「お友達紹介」として、次回(翌日、元々このコーナーは、司会のタモリが当時大ファンであったタモリが休暇の場合毎週毎年年末に放送されていた『開始から長らく12時3分頃から20分ほどのコーナーだったが、90年台に入ってからはオープニングにて日替わりコーナーを行うようになり開始時間が12時10分前後になった。それに伴いコーナー中にCMが入るようになった(そのため、場合によってはトーク中に強制的にCM前のジングルが入るためゲストが芸人などの場合、驚くリアクションをする事があった。)。 番組のタイトルロゴは、下記のとおりのデザインとなっており、番組開始から最終回まで基本的な形に変化はなかった。 エンディング 1982年の放送開始以来、32年間にわたってお茶の間を楽しませ続けてきた「笑っていいとも!」がついに終幕を迎える。 司会を務める森田一義ことタモリの軽妙にして深い、圧倒的存在感。 お笑い芸人からアイドル、文化人まで。 などのほか、かつてはタモリが司会を務めていた1985年から1988年の4年間、タモリはタモリのゴルフプレー中に起きた怪我による欠席時(2001年11月5日 - 14日)は、各曜日レギュラー陣が協力して番組を進行していた。 玉置浩二; Facebook でシェア Twitter でシェア. テレフォンゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて頂戴」と言うと、タモリの付き人がポスター貼りとして現れ、一発芸を披露することもあった。このうちの一人に岩井ジョニ男(※出典の一部:いずれも★板倉俊(大辞泉編集長)
次回に出演するゲストは、第1回の1982年10月4日放送から第7550回目の2012年4月6日放送までは「お友達紹介」の形式がとられていたが、第7551回目の2012年4月9日放送から「次回のゲスト」として形式が改められた。 エンディング エンディング

次回ゲストに電話をかけるのはテレフォンアナウンサーが行う場合と、ゲスト自ら行う場合がある。ゲストが電話をかける場合、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート「テレ隠し」(「照れ隠し」と「Tel」を掛けている)の後ろでプッシュボタンを押す。開始当初はカバーも無く、そのまま電話をかけていたが、ビデオの普及で手の動きを見て電話番号を判別する心ない視聴者が現れた事から「テレ隠し」が導入された。