東大生がbump of chicken歌詞解釈. Twitter:※本垢だけど嫌がらせに使っているアカウントなので何もつぶやいていません。また、あんまりログインしてません。Powered by 投稿日時: 2017年8月9日. bump of chickenのダンデライオンという曲です。テンポが良い曲で聞いてて楽しい曲です。ただ、歌詞は少し寂しい感じで、最後は前向きに明るくなっていきます。 サバンナで嫌われたライオンが、道に咲くタンポポとお友達になる物語 です。 関連記事. いつ … beautiful gliderがすこなんだbeautiful gliderの歌詞は個人の意見だし、お前の意見とは違うことがあるよ。羽根のない生き物が飛べたのは 羽根が無かったから「羽根のある生き物が飛べるのは、羽根があるから」を考えてみれば良いと思う。過去形にしてるのがポイントで、ここで現在形にしてしまうと一応いうと、「羽根のない生き物」は人間のこと。僕にはとてもできやしないけど 同じ生き物だ「できるかわかんねーけど絶対空を飛んでやるんだ!」という挑戦は僕にはできないよ。同じ人間だけど。手を振ったあなたの無事が 今でも気に掛かる「あなた」が登場。・飛び出したのはいつか?あとはまぁ、歌詞から情景を想像するに、建物の中ではなくて外にいる気がする。それも見晴らしのいいところ。夜明け前全然自信ないけど「出発前」「決意前」みたいなものを感じた。やりたい事に似た逆の事例えば「歌うことが好き」な人が商業的に歌わざるを得ない曲を歌うような感じだろうか。誰のための誰①「誰のための」・・・自分のやっていることが誰のためになっているのか分からんような状態それが嫌だったわけでもなかったんだけど分かち合えない心の奥 そこにしか自分はいない言葉にできないような直感的なものが心の奥にある。もう答え出ているんでしょう どんな異論もあなたには届かない「あなた」は「手を振ったあなた」であろう。もう誰の言うことでも 予想つくぐらい長い間 悩んだんだもんね自分でひたすら悩んだ末の「答え」であるから、その「答え」について人に話した時に「できっこない」だの「今のままやっていったほうがいい」だの言われるのは分かり切ってる。どんな異論も届かない。その異論も自分の中で長い時間考える中ですでに気付いていて、迷って、答えを出した後であるから。歌詞の表現がいいなぁ。実際の人間の感情に即していて素晴らしい。いつだってそうやって頑張って考えて 探してきたじゃないか頑張ってんじゃねーかよ自信持てよいっぱい間違えて迷って でもすべて選んでいくしかなかったグライダー 雨雲の中悩んだ末に答えを出したグライダーは、ここから飛び出して、もうすでに雨雲の中である。あこがれた景色とはいつでも会える 思い出せば一度も行ったことがないであろう「あこがれた景色」が記憶にある?おかしくないか?諦めたものや無くしたものが 鳥になってついてくる比喩。つってもグライダー自体も比喩なんだけどな。グライダーに鳥がついてきてる状態。やかましく鳴き喚いたりもせず 必死に寄り添ってる「心細くもあるが心強いオトモ」感がすごい。「諦めたものや無くしたもの」が自分の力になって挑戦を助けてくれているんだ現実に置き換えるとえーと、「諦め」とかも全部割り切っているから、ちゃんと力になってくれる。伝わってなさそうでヤバいな。この鳥は「振り払う対象」ではないよね?いや、もういいや。感じてくれ。感じられない奴はアスペ。さあ あなたにしか出来やしない事 違う生き物だまえに出てきた「同じ生き物だ」の対比。淡々と説明すると、人生経験が違うから「違う生き物」で、「違う生き物」だからこそただ「僕」について「同じ生き物だ」といっていたのに「さあ」っていうのは「Let’s」だよね。グライダーで飛び出すことだと思う。怖くても誰も背中押さないよ 押す方も怖いから歌詞が本当にすごいわ。かつてない視点。現状を捨てて憧れた景色を目指すのは、怖い。誰か背中を押してくれないかと思う。だけど、背中を押す方も怖い。もしも自分が背中を押した人が失敗して、多くの物を失ったりなんかしたら、どう謝っていいのかわからない。「あなた」もそれを理解しているから「背中を押してくれ」なんて誰かに頼むことはできない。こんな時に簡単に背中を押してくれる人は、責任を持つ気なんか更々ない詐欺師か何かだろう。あとは、慣用句である「背中を押す」と、グライダーで飛び出すのを助けるイメージの「背中を押す」のダブルミーニングじゃね?(それくらいあなたは勇敢な人 まだ泣けないまま 飛び出してからずっと泣ける。「それくらいあなたは勇敢な人」ってお前。メロディー的には「今飛び出すぞ!」って感じなんだけどやっぱり飛び出し済みらしい。解釈のルートが2本ある。①だと「ずっと」が浮くから②だと思う。「泣けないまま」っていう急に出てきた言葉は、ぶつかってぐらついてパラシュート引っ張って 絡まっていたりしないか何かに挑戦するにあたって、色々考えてしまうよね。キリ無い問答不安材料 でもすべて抱いていく「でもすべて抱いていく」のはやっぱりすげー考えた末の挑戦だから。墜ちられないグライダー 誰にも見えないさ「墜ちられない」を挿入した意味があまりわからない。あたりまえじゃん。「誰にも見えないさ」は雨雲の中だからだと思うけど、ちょっと解釈が難しい。見えないから何?っていうのはうん。泥臭く頑張ってい(たり、時に一人で取り乱したりす)る様子が「誰にも見えないさ」と言っているんだろうな。泣いてもいいよ的な意味もやっぱりあると思う。いつだってそうやって頑張って考えて 探してきたじゃないかまえのと同じ疑った手で掴んで 大切に信じるしかなかったグライダー 雨雲の中「疑った手で掴んで大切に信じる」っていうのがこれまた泣ける。夜明け前うーん。夜明けから連想されるのは「開始」じゃないのか。いい曲前へ次へ夜明け前→まだ辺りは見えない。見通しが立たない。結果として夜明けはあるけど、グライダーはその保証も与えられていないまま、だが闇の中飛び出した?雨雲が挑戦を始めてからの辛さなら、こっちはその前段階の自分を奮い立たせていくところ。押す方も怖いの辺り→推薦者が被推薦者の結果の責任を負うこと(連座制など)や、もしくは相手が失敗した時の押す方の心理的負担、後悔、それを恐れる。あこがれた景色〜→小さい頃憧れた夢があったとして、その時の憧れた気持ちを思い出せば再び挑戦できるかもしれない?誰にも見えないさ→もし堕ちたら、無謀だと叩かれる。泥の中で努力してる姿も苦しみも、多くの人には見えない。ここは希望に繋がるような内容ではない?でも次の歌詞で繋がる。いつだってそうやって〜→「そうやって」、つまり誰にも応援されなくても、苦しい中でも、独りやってきた。昔と状況は大して変わってない。悪くなってもいない。ひとつめの「そうやって」が悩みながらという意味なら、こちらはグライダーの強さを讃える意味?夜明け前→まだ誰もが成功するなんて想像していない、成功の1歩手前?グングニルが挑戦前から成功後(みんなが讃え出す)までを唄ったなら、こっちは挑戦前から、本人は見えないけれどもゴール前まで来ている人への歌?1周読んでパッと考えたことなので、ナメクジみたいな解釈かもしれません。なんかよさげな部分を抜き出していただければ嬉しいです。飛び立ったのも夜明け前。歌い終わりも夜明け前。憧れた景色とはいつでも会える、思い出せば憧れた景色を思い出したから、「あなた」は会いにいくために飛び出したのでしょう。バンプで一番好きな歌です。夜明け前は、一番暗いとき。ただ、夜明け前なので、もうじき陽が差す前であることの含みを入れているのだと思います。その、暗い闇の中を飛んでいくような、先があるかどうかもわからない、自分で選んだ道を選択して不安の中を進んでいくその暗さは、夜明け前の暗さだよということを、ただ「夜明け前」と言うのみでさりげなく表現しているのかなと。墜ちられない、は、自分の選択を進み続けること、不安の中をずっと進み続けることから解放されたい(=墜ちたい、決して『堕』ちたいではないはず)気持ちもあるけれど、考えて考えて考え尽くして決めた選択を自分自身が容易に放棄できないこと、進み続けるしかないその人の心身の状態を表現しているのだと思います。結論「いい曲」で吹きました(笑) 投稿先 考察. ふざけた事を真面目に考察するネタブログです 2018 - 04 - 02 BUMP OF CHICKEN,ELLEGARDEN,アジカン,太陽族,あの頃好きだったバンドはいつになっても僕は嫌いになれないだろうなぁ BUMP OF CHICKENの「話がしたいよ」について書いていきたい。スポンサーリンク作詞 藤原基央今回の歌は映画「億男」の主題歌であり、タイアップを受けて作った作品であることが明かされている。そのため、歌詞について語るとなれば、まずはタイアップを抑えて〜というのが正当なアプローチだとは思うが、今作に限っては、タイアップであること、あるいはタイアップ作品と比較しながらの考察とはいうことは一切行わず、自分はこう思う〜というようなスタンスで書いていきたいと思う。こんな考え方もあるのかなーくらいの目線でみてもらえたら幸いである。この歌は聴けば、シンプルに僕はもう君に会えないということ。会えなくなったことを後悔していること。そんな後悔をどうでもいいといって流したいけれど流さないでいることなどがわかると思う。要は、BUMPの歌としては珍しく素直な別れとか、その別れに対する後悔みたいなものを歌った歌ということになる。しかも、最近はあんまりなかった物語調の歌で。というわけで、全体的な歌詞の印象はそこになるのだが、気になるのは「ガム」という単語の登場のさせ方。冒頭とラストで「ガム」という単語が出てくるのだが、このガムって何だろうという話。「ガムと二人になろう」とあるので、ガム=この歌の主人公?と僕は感じる。君にとってガムは「苦手な味」だったから、結局離れ離れになってしまった。だから、ガム=主人公なのかなって。けれど、ガム=主人公そのものってわけではないことは、最後のセンテンスで明らかになる。「紙にぺってして」とあるように、そのガムは主人公の口から出されて捨てることを匂わせている。ガムを紙にぺってするのは主人公のはずだから、主人公そのものが主人公をぺってするのはおかしい。いずれにせよ、君がいなくなったことは明確で、君と話したくてももう話せないことは明確で、どうやったって戻れないのは一緒で、そんな色んなアレコレをまとめて「ぺってする」=後悔を断ち切るというのは構図としてあると思う。そして、主人公は後悔から抜け出して前に進もうとするわけだ。だから、ガムというのはあえて言えば「ダメだった頃の自分の象徴」みたいなものなのかなーと思ったりして。あるいは、君にとって苦手だった味の自分、とでも言えばいいのか。スポンサーリンクこの歌は、おそらくすごい短い時間を歌った歌だと思うし、すごい長い時間を歌った歌とも言える。MVでは本当に藤原基央がバスを待っているが、この歌は「バスが来る」というのはひとつのメタファーで、本当にバスを待っているわけではないわけだ。最後のフレーズで明らかになるのは、バスというのは君と決別する僕が次のステップに進むことを示すための「メタファー」であるということ。ポイントなのは、普通の歌は決別して踏み出す、というところまでを描きがちだが、この歌は一歩踏み出す前のその前で歌を終えてしまうところにある。だって、普通ならバスに乗るでしょ?で、君のことは忘れられないけれど頑張るぜー!みたいな展開になるでしょ?でも、この歌はそこを描かない。ガムを捨てるまではできたけれど、バスは開いたところで物語が終わってしまうわけだ。本当に君と決別することができるのか?そんな挑戦を主人公に課しているかのような絶妙な場面で歌が終わる。だから、その前のセンテンスで「そういってやりたいんだ 大丈夫 分かっている」って言っているけれど、めちゃくちゃに迷っているというか、全然大丈夫じゃないところもちゃんと示すわけで。この辺のさじ加減が絶妙だなーと思う。「自分ごとポケットに隠した」というのは、自分の殻に閉じこもったとか本音は胸の内にしまい込んだとか、そういうニュアンスが込められた比喩だ。「往復する信号機」だって心の中にある「だめだよ」と「いいよ」の動きを表す比喩というように捉えられる。あと、ボイジャーは太陽系外~というすごく遠いものの話をしたあとに、次のフレーズでは自分の呼吸の音というすごい近くのものを描く。この辺りは、すごくBUMP的な世界観である。宇宙という壮大なモチーフを使いながら己の内面にあるすごく近くて、けれど届かないものを描かせたら藤原基央の右に出るものはいないわけで、このフレーズでもそういうモチーフをさらっと登場させている。比喩の話でいくと「お薬」というのも比喩なわけだが、これに関して言えば、君を忘れるということが苦しみからの治療になるわけで、お薬=時間、なのかなーと捉えられる。で、与えられた時間で他のことに没頭していれば、少しずつ君を忘れられるから苦しみから抜け出せるよ、みたいなそんな感じ。けれど、「飲まない」と言い切ることで、主人公は君のことを忘れない、という意志を示すわけである。その決意の相違として「どうやったって戻れないのは一緒だよ じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい」と言ってしまうわけである。もちろん、それだけなら切なくないんだけど、その記憶の先に行き着くのは、もし君がここにいたら「話がしたいよ」という、そこの想いなわけだ。話したくてももう話せない、というそこの部分を最終的にクローズアップするから、この歌はどうしようもなく切なくなってしまうのである。もちろん、この歌の主人公に誰を投影してもいいのだろうし、君に誰を代入してもいいのだろうと思う。色んな解釈ができるから、色んな捉え方ができるように書かれているから、この歌は深みがあるのだろうし、他の歌では味わえない切なさを感じるわけである。ただ、持て余した手というフレーズがあるように、僕と君はある途中までは手を繋いでいたことが想起される。まあ、この手を繋ぐっていうのも比喩だとは思うけれど。なぜなら、一人になった理由は「街が立てる生活の音」だからであり、これって街に出ていくようになった=大人になったからなのかなーと思うわけだ。映画「大人になったプー」を観た人ならわかるかもしれないが、大人になると色んな心を失っていってしまう。そんななかでピュアな君を手放してしまったのではないか?一緒に手を繋いでいた僕と君。けれど、僕=ガムは苦手な味であり、街が生活音を立てるようになってしまったから(社会に出るようになったから)僕は君と離れ離れになってしまったというか。話は変わるが、「この瞬間」という超現在形の言葉を「していただろう」という過去形で語る不思議なセンテンスを使うも、藤原の独特の言葉回しである。現在形から未来のこと、あるいは過去のことを語るのは「天体観測」であれ「記念撮影」であれ、よく使う手法であり、この独特の時間軸の捉え方がBUMPの世界観を奥深くしていたりする。そういう意味で、この歌も僕=君であり、むしろ僕が君になるための歌なのかなーと思ったりする。だからこそ、現在形なのに過去を歌っても通じるというか。今の自分に問いかけることが周り巡って君にもちゃんと伝わるというか。だから、ガムと一緒になるというメタファーは最後ガムを捨てるというシーンで終わり、ガムを捨てたことでバスはやってくる、そういう流れに終わるのかなーと。そんなことを感じた次第。もちろん、人の数だけ解釈はあると思いますけどね。スポンサーリンク「「

bump of chickenの「話がしたいよ」について書いていきたい。 スポンサーリンク 作詞 藤原基央 作曲 藤原基央 考察〜前置き〜 今回の歌は映画「億男」の主題歌であり、タイアップを受けて作った作品である … シルシを付ける現在地.