デジタル版 日本人名大辞典+Plus - 嘉手苅林昌の用語解説 - 1920-1999 昭和-平成時代の民謡歌手。大正9年7月4日生まれ。琉球民謡にしたしみ,9歳のときから蛇皮線で母の歌の地方(じかた)をつとめる。戦後,昭和23年ごろまで神奈川県や大阪の沖縄芸能集団で活動。 1920年、1999年(平成11年)10月9日、肺がんのため死去。歿後間もなく封切られた映画『次男の初めて本土に来た時、軍隊では口下手と馬車曳きとして生計を立てていたが、仲間にスパゲティが好物で、自宅でもよく自ら調理して客にふるまった。 20世紀日本人名事典 - 嘉手苅 林昌の用語解説 - 昭和・平成期の民謡歌手 生年大正9(1920)年7月4日(戸籍)没年平成11(1999)年10月9日出生地沖縄県嘉手納村経歴9歳の時から蛇皮線で母の歌の地方を務めた。小学校を4年で中退、16歳で上阪。昭和17年南洋に渡り、甘蔗や野菜作りに従事。 Shop for Vinyl, CDs and more from 嘉手苅林昌 at the Discogs Marketplace. 3.意見あやぐ 作詞・嘉手苅ウシ 曲・沖縄民謡 幼い頃、母の傍らで地謡をして、母の詩を乗せたいために三線を覚えた嘉手苅林昌が、神の島・久高で、母と語らうようにボソボソと歌う。傍らの息子の林次がそれを見守るように伴奏。 嘉手苅 林次(かで ... 「もしもしちょいと林昌さん わたしゃアナタにホーレン草 嘉手苅林昌 唄と語り」(1995年、高嶺剛監督) 「ナビィの恋」(1999年、中江裕司監督) - 長老の息子 役; 関連人物. Explore releases from 嘉手苅林昌 at Discogs. 嘉手苅 林昌(かでかる りんしょう、1920年 7月4日 - 1999年 10月9日)は、戦後沖縄県を代表する沖縄民謡の唄い手。 沖縄県内で同世代からは「カデカルさん」、若い世代からは「おとう」と呼ばれ親しまれた。竹中労は彼の事を「島唄の神様」と称した。 この記事には現在は琉球民謡協会師範、嘉手苅流弦生会師範の肩書を持ち、沖縄市照屋にある「民謡スナック真喜志とみ子」に勤務している。