phsのサービスがスタートしたのが95年。コードレスホンの子機の仕組みを利用した規格で、とにかく加入料も基本料金も安く、通話料は公衆電話とあまり変わらず、ポケベルユーザーだった若者たちに圧倒的に支持されるようになります。 みなさん知ってます? 1993年ごろ、携帯電話って全部レンタルだったんです。保証金や加入料が必要で、携帯電話の基本使用料も1万円以上。通話料金も今よりもグッと高くて、まだまだ携帯は「特別なもの」だったんです。変化が訪れたのは94年。携帯端末売り切り制がスタートして、好きな機種を自由に"買える"ようになりました。保証金は不要になりましたが、それでも加入料が3〜4万円、端末の価格は10万円前後、さらに諸経費で、携帯電話を持つための初期費用はおおよそ15万円ほどかかったものです。この頃、若者たちのコミュニケーションツールの中心はポケベルでした。 TIME & SPACEKDDIがお届けするIT ✕ カルチャーマガジンCOPYRIGHT © KDDI CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED.さん 現在のauはkddとidoとddiセルラーが合併して誕生したものであり、のちにツーカーを合併。そして現在のソフトバンクは、j-phone、ボーダフォンなどさまざまな経緯を経て、いまに至る。そんな平成30年間の通信会社の歴史を振り返る。

「0840」とか「114106」とか「33414」とか、数字の並びをメッセージとして送り合うわけです。意味はそれぞれ 「おはよう」「あいしてる」と「さみしいよ」です。その後、ポケベルは日本語を表示できるようになり、恐るべきスピードでプッシュホンから入力する超絶技巧の女子高生なども現れました。そうそう、ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ)とその主題歌がヒットしたのが93年でしたね。当然ですが、ポケベルって受信専用。受け取ったメッセージへの返信を相手のポケベルに、また暗号やらカタカナで打ち返していたわけです。そんな当時の若者たちへの救いの手となったのがPHS。彼らはピー・エイチ・エスとは呼びません。「ピッチ」です。念のため発音は「ピッチ(↓)」ではありません。「ピッチ(↑)」です。「ベル友」や「ポケベル打ち」という呼び方もこの頃を象徴する言葉です。 2019/03/27ケータイが生まれ、そしてケータイによって世の中が昭和から一気に様変わりした平成という時代。各携帯電話のブランドがいつ頃スタートし、どんな経緯をたどって現在に至るのか?まずはこちらの表をご覧いただきたい。こちらの表には、1952年から2015年にかけての主な電気通信事業者の変遷がグループごとにまとめられている。驚くほど細かいが、1985年の通信自由化以降、それだけ多くの通信事業者がひしめいていたということでもある。続いてこちら。上の表を携帯電話ブランドの変遷に簡略化したものだ。平成30年間におけるau、ソフトバンク、NTTドコモの変遷に対象を絞り、各社の代表的な機種やサービスを追記したもの。こちらのほうが、よりわかりやすいだろう。当記事ではこの表をもとに、各社の現在に至るまでの変遷を振り返ってみる。まずはそしてauが展開してきたサービスのなかには、業界初の画期的なものも少なくない。1996年(平成8年)に誕生した着信メロディー、いわゆるまた、2003年(平成15年)にはau Design projectの第1弾となるスマホやケータイにカメラが付いているのは今でこそ当たり前だが、その先駆けとなったのは、ソフトバンクの前身であるJ-フォンから2000年(平成12年)に発売されたシャープ製また平成のケータイ業界においてNTTドコモが与えたもっとも大きなインパクトはまた、いわゆる平成におけるケータイの歩みを振り返るうえで、PHS(通称ピッチ)も触れないわけにはいかないだろう。1994年(平成6年)にNTTグループの平成の30年のあいだに通信関連技術は劇的に進化した。ディスプレイはモノクロからカラーになり、画面は大型化。のちにケータイからスマホへ移行し、2010年(平成22年)以降は各社4G LTEのサービスを開始。高速インターネット接続は当たり前になった。そして平成最後の年である2019年、奇しくも各社が新しい移動通信システム文:榎本一生※掲載されたKDDIの商品・サービスに関する情報は、掲載日現在のものです。商品・サービスの料金、サービスの内容・仕様などの情報は予告なしに変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。メンバーになってもっと登録すると楽しいコトたくさん!TIME&SPACEで話題のアイテムのプレゼントや記事の取材同行企画、メンバー限定イベントへのご招待などお得なサービスがいっぱい! ご協力ありがとうございました。 昔の写真が出てきたので、 10代、20代の人にphsという携帯電話の1種を紹介します。 30代 ~ の皆様も、お茶でも飲みながらご覧ください。 引用元:model.foto携帯電話といえば、今やスマホが主流となっていますが、昔はPHSと携帯電話の2台持ちをするサラリーマンなどを良く見かけました。一昔前では、料金の安いPHSと、つながりやすい携帯電話を使い、ビジネスマンは最先端技術を駆使していたのものです 1996年 、phs全盛期でした。. phsとは? スマートフォンから使い始めた人は存在そのものを知らない人も多いようですが、その昔にはphs(簡易型携帯電話)と呼ばれる種類の携帯電話がありました。. PHSのサービスがスタートしたのが95年。コードレスホンの子機の仕組みを利用した規格で、とにかく加入料も基本料金も安く、通話料は公衆電話とあまり変わらず、ポケベルユーザーだった若者たちに圧倒的に支持されるようになります。高校生のお年玉でなんとかなる加入料と、おこづかいでなんとかなる基本料金。通話はそもそも着信メイン(相手のポケベルへの発信程度)で多用せず、通話する場合は家電(いえでん)から相手のPHSヘ。とまぁ、チマチマ使うのが当時の学生さんのスタイルでした。携帯電話の事業者は東名阪で当時4社、PHSは3社がしのぎを削り、おのずと価格競争は激しくなっていきました。「音質はピッチが良い」なんて言われたものですが、一方で、PHSと争うようなかたちで携帯電話の加入料や基本料もどんどん下がり、96年末にはとうとう加入料自体が廃止。同じ頃にはPHSの方でも新しい事業者が、端末を0円で配布するなんてことを始めました。ここで携帯電話は一般層にどんどん普及することになりました。93年度末には213万件ほどだった加入契約数が、96年度末には携帯電話・PHS合わせて、なんと2,690万件にまで膨れ上がったのです。この頃、際立った携帯電話史上のできごとがあります。それは「色」。それまで誰も疑問を持たなかった「黒いボディカラー」からの脱却が始まりました。ゴールド、シルバー、ピンクなどが登場し、市場は賑やかに。ほとんどビジネスシーンだけで使われていた携帯電話が、新たな層の需要を掘り起こし、新たなシーンへと進出したのです。人気を集めたD315(ノキア製)は、カバー交換ができるモデル。機能以外の面も少しずつ重視されてきたことが分かります。ちょっと時代は下りますが、97年に発売された506G(三洋電気製)は3色展開で若い女性を中心に支持されました。携帯電話に着メロが初めて搭載されたのもこの時代。IDOのD319(デンソー製)は、まさにパーソナル化の象徴。プリセットの楽曲だけでなく、自分でつくったメロディを着信音にできる 「メロディ着信音作曲機能」を搭載しました。好きな「色」をまとって、好きな「曲」を鳴らすようになった携帯電話。レンタル時代とは比べものにならないほど、ユーザーにとって身近な機器になっていたのです。実は、携帯電話に初めてマナーモードが搭載されるのもこの時代でした。それだけ多くの人が持つようになり、いつ着メロが鳴っても不思議ではないほど普及してきた、という証拠かもしれませんね。文:T&S編集部※掲載されたKDDIの商品・サービスに関する情報は、掲載日現在のものです。商品・サービスの料金、サービスの内容・仕様などの情報は予告なしに変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。メンバーになってもっと登録すると楽しいコトたくさん!TIME&SPACEで話題のアイテムのプレゼントや記事の取材同行企画、メンバー限定イベントへのご招待などお得なサービスがいっぱい!
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