余剰・老朽化以外による事故廃車は本系列全体で18両ある。 1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所(→新津車両製作所→現・1986年に「くろしお」が南福岡転出車は車体改修時に貫通扉埋込みならびに立体型特急マークの装着などの改造が施工されたが、2000年までに全車廃車された(改造施工後の画像は福知山転出車は寒冷地対策を施工した上で1986年に2両がクハ481形800番台1984年 - 1985年にクロ480形0番台と編成組成をするモハ485形15両に以下の改造を鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工。 1989年の種車は多岐に渡っているが、これらの種車自体がすべて元々サロ481形基本番台であり、種車による差異はほとんどない「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差なく窓配置と座席間隔が一致しない。2011年までに全車廃車となった。

JR九州が783系以降の新型車との格差解消を目的に施工した以下の改造である。 1975年11月には奥羽本線1978年10月2日ダイヤ改正では、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復「やまばと」1往復区間延長→「つばさ」増発を実施したが、東北本線・1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業では、上野発着「いなほ」を「鳥海」に改称し1往復のみ残置。奥羽本線・磐越西線直通特急は一部を除き軒並み廃止・削減され、主力は編成から食堂車を不連結とした編成に再組成した上で以下の新幹線連絡列車となった。 過去の車両 サロ481形500番台組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出。残存編成は「だんらん」廃止により、号車にサロ481形組込9両編成に変更・統一。 2005年度改造車は、キャンペーン終了後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を3000番台に準じた1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・2006年度改造車は仙台に所属し快速「あいづライナー」で運用、2011年6月には国鉄色への塗装変更を施工されたが、2016年8月4日付で廃車された1996年から2001年にかけてJR東日本が1000番台車を中心に施工した大幅なリニューアル工事による番台区分。土崎工場(現・制御装置・方式などは在来車と共通のため混結運用は可能だが営業運転での実績はない。

訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成2001年には勝田所属のクハ481-17が60 Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に廃車となった。 1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先である。 特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。 過去の車両 「増発のために1978年に金沢運転所から転入した65 - 67(1973年製)・75・76(1974年製)・サシ489形改造の80番台3両の計8両が該当する。

国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。 国鉄向日町運転所時代から本系列最初の配置車両基地でありJR化後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用。489系との混結や「なお分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施しており、その動きを以下で解説する。 モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを設置。 同「ハマナス色」塗装(U107編成) 1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南電化により「やまばと」「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにダイヤ改正前の6月11日からクロ481形組込6M3T編成に組換えられたこれらの増発により仙台運転所に続いて青森運転所にも配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは「はつかり」季節列車1往復の運転も開始された。 サロ481形組込の元K編成。 「白山」以外の昼行特急で運用される時は、コンビニエンスコーナーの営業は行われず、専ら車内販売の基地として使用された。 向日町配置車は1975年(昭和50年)に全車鹿児島運転所へ、1985年(昭和60年)に仙台配置の29・30は向日町所へ転出、1986年(昭和61年)に上沼垂九州地区配置車は1977年(昭和52年)以降「ひげ(眉)」が省略されたが、仙台所ならびに勝田区に再転出した31・32・34・36・38・40は1985年(昭和60年)以降「ひげ」を分割民営化時には29 - 32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。両社共に独自塗装への変更や密着連結器への交換などの改造が施工されたが、JR九州では1996年(1968年のこのため日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたのが本形式である。定員は36名。車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100 mmとなった。 上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。 配置別に編成表を公開しています。【配置別・東日本の編成表】東日本の配置表と、首都圏を中心とした編成表の一部を公開しています。配置表は東日本在来線の営業用

1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」に転用されたが、2003年には3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」で運用されたが、2009年に183系化改造が施工された。 1986 - 1988年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造された。全車JR東日本が所有したが、施工内容に若干の差異がある。 新潟所属R1・2編成の「はくたか」運用終了後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが組成は異なる。

また本区分では1972年下期製造車と1973年製造車では以下の相違が存在する。 1983年に3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。 現有車両 田沢湖線および、関連の深い北上線・奥羽本線横手駅 - 大曲駅 - 秋田駅間で運行された昼行優等列車の歴史・沿革についても記述する。 東北地区では車両の余剰化が激しく、今回の改正では編成替えのために向日町への転出と南福岡・鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われた。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車が転入した。これは短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで短編成車に非ボンネット車を充当させるのが目的で、引換えに東北地区からはクハ481形200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転出した。 1978年10月の白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。 『名列車列伝シリーズ』 現有車両 電動車ユニットが交流50・60 Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・484に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。 米原方にクロ480形1000番台を連結。 1991年に213はクハ481-201へ復元。それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅。