自社サイト「 みんなでつくる鉄道研究所 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線は、茨城県鹿嶋市の鹿島サッカースタジアム駅と茨城県神栖市の奥野谷浜駅とを結ぶ鹿島臨海鉄道の鉄道路線である。貨物線であるが、一時期旅客営業を行っていたこともあった。 譲渡及び改番履歴を以下に示す。 キハ600形601号 石岡機関区

鹿島臨海鉄道7000形気動車を徹底ガイドします。編成表(1編成)、車両情報(2両)、鉄道フォト(2枚)を提供しています。 キハ600形602号 石岡機関区(2006年) レイルラボに会員登録すると、鉄道乗車記録(鉄レコ)の記録、鉄道フォトの投稿・管理ができます。 塗色は濃い茶色に白帯であったが、2005年11月に朱色に変更され、同年のDD902 玉造町駅(2006年)

2004.8.28 鹿島臨海鉄道 水戸17:04→鹿島神宮18:20 6006+6005 乗車記は こちら 。 2004.8.29 久留里線 931D 木更津11:50→上総亀山12:51 938D 上総亀山14:00→木更津15:07 鹿島鉄道記念館は日常的に公開されている施設ではなく、日を決めてたまに公開される施設である。公的なものではなく、存続運動に携った個人が所有し保存している施設であるため、所在地も公式には非公開とし、事前集合の形をとっている。2009年4月に初回、9月に2回目、2011年9月23日に3回目の一般公開が開催された。

キハ600形602号(1985年)

   借用地の返還を求められたことから、鉾田駅保存会は「鉾田駅跡での保存および交通公園化」という方針を転換して、以前より鉾田駅の交通公園化を陳情していた鉾田市議会に対してこの2両の恒久的保存を求めるに至った。これは2009年7月21日の鉾田市議会で当該予算が可決され、沿線にある鉾田市の温泉施設「ほっとパーク鉾田」に搬入の上で動態保存を継続することとなった。2両は、2009年11月1日に所有権が鉾田市に移転、2009年12月24日に移送が行われた (ホームの駅時刻表。) ここで、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の歴史について、簡単に触れておこう。国内の地方鉄道の殆どが、明治中期から大正期にかけて開業しているのと比べ、戦後の昭和60年(1985年)開業と、大変、新しい鉄道になっている。 DD902 石岡機関区(2007年)  早稲田大学鉄道研究会40周年記念列車です。僕は早稲田の出身ではないですが、当時、このイベントの関係者がたまたま身近にいたもので、運良く紛れ込むことができました。   途中の清水沢駅でタブレット交換あり。以下、続く   ¯ã‚’横断し、列車が急停車したのを覚えています。  この列車の乗車記は

レイルラボ(RailLab)の公式SNSアカウントです。こちらも合わせてご利用ください。鉄道ニュースを毎日お届けしています! 沿線の小学校に通う12歳という設定のキャラクター「鹿島花梨」を2004年頃より使用している 元来は、燃料輸送の終了後、貨物輸送量は一時大幅に減少したが、貨物の2020年(令和2年)1月現在、2017年(平成29年)3月31日現在、KRD5(2008年3月) 鹿島臨海鉄道株式会社(かしまりんかいてつどう、英: Kashima Rinkai Tetsudo Co., Ltd. )は、茨城県で貨物および旅客鉄道事業を行う第三セクター方式の鉄道事業者。 本社所在地は茨城県東茨城郡 大洗町桜道301番地。 "Kashima Rinkai Tetsudo"の頭文字を取ってKRTとも略される。 鹿島臨海鉄道7000形気動車を徹底ガイドします。編成表(1編成)、車両情報(2両)、鉄道フォト(2枚)を提供しています。

廃線後に保存されている車両は全部で6輌ある。「鉾田駅保存会」が購入したキハ601とKR505がのちに鉾田市に寄付されてほっとパーク鉾田で動態保存されている。「鹿島鉄道保存会」が購入したキハ714・キハ431・KR501が小美玉市の「鹿島鉄道記念館」で静態保存されている(期日指定公開であり、ふだんは非公開)。また、キハ432は小美玉市の小川南病院「はるるの郷」の利用者用施設として保存されている。 航空ファン・飛行機利用者のためのサイト フライチーム 成田空港への航空燃料暫定輸送鉄道ルート 本項では鉄道事業者時代について詳述する。 廃止後しばらくの間、KR505は構内短距離を運転していたが、線路の傷みと地権者の意向による借用地の縮小のため、その後はほとんど運転が行われなくなった。

19m級の3扉車で、当線では最大の旅客収容力を持っていた。出自は流線型であった前面形状を601は2006年時点で車齢約70年に達しており、一般旅客営業に運用される車両としては日本最古かつ戦前製唯一の現役気動車であった。廃止後601は、鉾田駅跡を鉄道公園にすることを目指した市民グループが駅構内に保管していたが、2007年に鉾田市議会で公園整備の陳情が却下された後、有志個人が鹿島鉄道から買い取り、鉾田駅の保存用地も同個人らが借り受けて保管していた。2009年に鉾田市が保存用地を提供することとなり、601も鉾田市に寄付され所有権が移転、移送の上で保存されるに至った。 一部の車両などは有志らの手により保存されている。 公的支援の正式決定前のしかし状況は好転せず、ついに2006年(平成18年)3月30日に、鹿島鉄道が公募には、市民団体の鹿島鉄道再生存続ネットワークが「新しく上記、公募から廃線に至る経緯の出典は以下の通り。