4 過去に名車は数多くあり、それらのcmには決まってキラーフレーズが入っており、話題になりました。今回は過去の懐かしい自動車cmの中から、独断と偏見で後世に伝えたいキラーフレーズを採用した自動車cmをご紹介します。 出典: みんなもっとふざけろよ! 1990年に発売されたダイハツ

5 中学2年から34年間に渡り「月刊自家用車」の愛読者です。お気に入りのコーナーはもちろん、新車購入値引きレポートです。 Copyright © MiddleField Inc., 2018 All Rights Reserved. サイトでは見られない編集部裏話や、月に一度のメルマガ限定豪華プレゼントももらえるかも!?

モーターズは、クルマ・バイク・モータースポーツ好きを応援する、モーターライフ情報メディアです。 出典:https://www.photo-ac.com/profile/852127CONTENTS1990年に発売されたダイハツ ロッキーは、ラダーフレームと副変速機付きパートタイム4WDを採用した、1.6リッターの本格的コンパクトクロカンでした。CMキャラクターは「イカ天」司会役で大人気だった相原勇さんで、彼女のキュートなキャラでCMの印象もポップで軽快な印象となっています。1984年に放映された「道は星の数ほどあります」のナレーションで始まる、2代目ミラージュのCM。このCMに限っては、キラーフレーズやミラージュよりも、エリマキトカゲが後ろ足で立って走る様子が印象的です。 実際に、このCMがきっかけで日本は一大”エリマキトカゲブーム”が巻き起こり、テレビ番組やレコードなど多くのメディアで取り上げられる人気者となりました。クイントを初代とするインテグラは、2代目でサブネームとして使用され、3代目より車名となりました。1989年に発売された3代目インテグラのCMキャラクターは、当時の人気映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで大ブレイクした、マイケル・J・フォックス氏で、同映画の主題歌を務めたヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの『パワー・オフ・ラブ』を挿入するなど、マイケル人気にあやかった内容で話題に!キラーフレーズは、「カッコインテグラ」の他にも「気持ちインテグラ」もあり、ハリウッド俳優と親父ギャグのギャップが、30年が経過した今でも印象的です。歴代スカイラインの中で最大のヒット作となったのが、4代目スカイライン(通称ケンメリ)です。3代目ハコスカ後期から販売施策としてデートカー路線を打ち出し、4代目ではさらに発展させて、CMキャラクターにケンとメリーの恋人カップルを起用します。なお、ケンとメリーはそれぞれ4人おり、3代目ケンが若き日のマイケル富岡氏であることは、有名です。マークII 3兄弟のフォロワー車となった7代目スカイラインは、熱狂的なスカGファンから叩かれて販売台数が伸び悩みました。そこでテコ入れとして、開発当初予定がなかった2ドアクーペを開発。2ドアクーペは4DHTとほぼ同じ寸法でしたが、随所にコンパクトに見えるデザインを施し、スカGファンに歓迎されました。2ドアクーペCMのキャッチコピー「そのとき、精悍。」とともに、CMキャラクターに岩城滉一氏、BGMにロックアレンジの「エリーゼのために」が採用され、ハードボイルドでスパルタンな2ドアクーペのイメージを表現しています。1990年頃はステーションワゴンがブームでしたが、日産からアベニールが発売されるも人気は今ひとつでした。そこでビッグマイナーチェンジを行い、営業上の車名を「アベニール サリュー」に変更し、CMキャラには若手女優の松嶋菜々子さんを起用。ニホンザルと混浴という自動車CMとしては異例な演出と、「サリュー」にも「サル」にも聞こえるキラーフレーズ「サル」の連呼で、アベニールが生まれ変わったことをアピールしていました。1997年に販売を開始した初代トヨタ プリウスは、世界初の量産型ハイブリッド車で、まさに鉄腕アトムのように近未来の世界から来たかのような存在でした。1985年に発売されたFFジェミニは、117クーペ以来17年ぶりにいすゞが独自開発した車両です。FFジェミニの欧州コンパクト車的な扱いやすさを端的にアピールしたのが、並走する2台がアクロバティックな走行でヨーロッパの街を駆け抜けるCMでした。撮影にはワイヤーなどのギミックは未使用で、実際にアクロバティックに走行させたそうです。1980年代の会社は、プライベートの自家用車にもヒエラルキーを求め、社長がクラウンに乗るなら、部長はマークII、課長はコロナのような暗黙の了解がありました。そのため、クラウンの所有は、人生の成功者であることを示していたのです。そんな風潮を「いつかは、クラウン」と表現し、CMで使い始めたのが7代目S12型クラウンでした。1970~1980年代の日本は、モータリゼーションの真っただ中。バブルを目前に控えた好景気で、年間に普通自動車が500万台近く販売された時代でした。そのため、CMの演出やキャッチコピーに、当時の自動車業界の勢いが感じられます。 2

1 3 記事には載せられない編集部の裏話や、最新の自動車パーツ情報が入手できるかも!?受信ボックスか迷惑メールフォルダを確認して購読手続きを完了してください。 自動車ライター歴4年。「何か1つでも学びがある記事」をモットーに執筆しています。 3 2 5 1 クルマ・バイクをもっと楽しくするメディア

3 著者:猪俣義久 得意なジャンルは1990年前後の日本車、自動車をお得に楽しむ経済術、自動車業界の経営戦略、新車情報、助手席試乗レポートです。 株式会社交通タイムス社 18歳から38歳までの20年間に、軽自動車から高級セダン、キャンピングー(バンコン)やトラックまで延べ11台を所有しました。現在は目を患っているため、運転免許を返納しました。 Automotive media that supports your car's interest from the user's perspective なに気なく目にしている自動車のCMだが、振り返ってみるといろいろな人物がキャラクターとして起用されていることに気づく。どんな人がいたのか紹介してみようと考え、過去のカタログを探してみると、思いのほかキャラクターの露出が少なく、メインは映像、TVCMでの出演が大半であることが分かった。 そこで手元にあったキャラクターが登場する数少ない昭和のカタログ画像の中から、登場人物を紹介してみよう。  印象に残るのは、ポール・ニューマンを起用した日産の6代目R30系「スカイライン(R30系)」のCMだった。映像で覚えているのは、オーバルトラックのバンクを疾走するシルエットフォーミュラのレーシングスカイライン。いかにもアメリカらしいシチュエーションだったが、そこにニューマンが登場している。 ニューマン自身は、映画「レーサー(邦題)」で主役を務めたり、ポルシェ935で1979年のル・マン24時間で2位に入ったりと、モーターレーシング色がきわめて強い俳優。彼をキャラクターに使うとは、日産もかなり気合いがはいってるな、というのが当時の印象だった。CMは、RSターボの印象が強かったが、カタログを見直すとR30系スカイライン全般で登場。”new-man skyline”のネーミングがこれを裏付けていた。  同じ日産車でも、スカイラインと正反対の路線でCMを作っていたのが「マーチ(初代)」だろう。キャッチコピーは「マッチのマーチ」。マッチ、つまりは近藤真彦のことで、当時売り出し中のマッチと新型車マーチのフレッシュなイメージを重ね合わせることが狙いのCMだった。  一方、この時代トヨタ車はどうだったかな、と思い出してみると、コロナ(トヨタのクルマ)で映画『007』のジェームズ・ボンド役を演じていた俳優の「ロジャー・ムーア」を、カローラIIでグランドスラム優勝歴を誇るプロテニスプレイヤー「ジョン・マッケンロー」を起用したりと、こちらも大物をキャスティングしていた。 なかでも「吉永小百合」を起用したクラウンのCMが鮮烈に記憶に残っている。”日本の美”をキーワードに、日本の高級車=クラウン、日本美人=吉永小百合を関連づけ、端正な映像でクラウンのパーソナル色を示唆する最初のCMだった。(上記は吉永小百合さんが登場していないカタログ写真)。  女性キャラクターを立てたCMも少なくなかった。ホンダはシビック・フェリエで「ジョディ・フォスター」、オデッセイでは「ユマ・サーマン」、ライフでは「アシュレイ・ジャッド」と、錚々たるハリウッド女優を起用。一方、これとは反対に「小林麻美」を抜擢したスズキ・アルトのCMは新鮮だった。 低価格、コストパフォーマンスで売り出したアルトが、2代目にモデルチェンジ。シャレた雰囲気を演出しようと、小林麻美に白羽の矢を立てたケースだった。 高額商品である自動車は、1台あたりの利益も相当に大きいだけに、各社とも高い商品イメージで1台でも多く売ろうとする姿勢が、CMキャラクターの選定に見て取れる。自動車のCMを1本のドラマとして見られるのは、こうした事情によるものなのかもしれない。日本の名車「スカイラインGT-R」を誕生させた”グループA”レース!激烈な世界戦の現場を振り返る「トリコロールカラー」は日産レーシングカーの象徴!赤・白・青の組み合わせを辞めてしまった理由とは「ラリーの日産」と言われたほど勢いがあった! 1970年〜1990年代に活躍した名ラリーカー5選1代限りで消滅した「小さな高級車」 時代を先取りした悲しき国産セダンを振り返る急増する国産高級車、1000万円オーバーのクルマと所有する価値と意義とは© Kotsu Times Sha Co.,Ltd.