簡単に言えば「北伝」は大乗仏教、「南伝」は上座部仏教が伝わり、上座部はゴータマ・ブッダのオリジナルの教えに比較的近いと言われています。 スポンサーリンク. 仏教にはたくさんのお経があり、漢字ばかりで説かれています。 内容も非常に深く、たくさんの宗派に分かれていて、初めての人にとっては、どこから手をつけていいのか … はいどーも!さとるです。Contents世界三大宗教の1つに数えられる「仏教」は、今から2500年ほど前にインドで興った宗教です。仏教の開祖である「ブッダ」ことゴータマ・シッダールタは、紀元前5世紀ごろ、現在のインド北部~ネパール南部辺りにあった小国、カピラ国の王子としてこの世に生を受けます。ゴータマの出生は現在に至るまで定説を見ず、主にリア充生活を送りつつも人生に苦悩していたゴータマは、「人生って一体なんやねん」とこの世の真理を求めて29歳の時に出家します。出家したゴータマはまず、 思想家として名を馳せていたアーラーラ・カーラーマ、 ウッダカ・ラーマプッタの2人に師事します。仏伝(ブッダの伝記)によっては、2人の元へ行く前にバッカバ仙人という人物に師事したとも書かれています。その後、ゴータマはほかの修行者らと共に苦行に打ち込み始めます。苦行を始めて6年が過ぎた頃、断食しすぎて死にかけたことがあり、近くの村に住んでいたスジャータという女性に乳粥(ちちがゆ)を食べさせてもらい一命を取り止めるという出来事がありました。体力を回復したゴータマは大樹の元で瞑想に入り、ついに悟りへと至ります。35歳で悟りを得たゴータマ・ブッダは、かつて苦行を共にした5人の仲間たちに教えを説きに行きます。さまざまな出会いや別れを繰り返し、故郷であるシャーキャ国の滅亡すらも目の当たりにしたゴータマ・ブッダ。ゴータマ・ブッダは入滅(仏教における僧侶の死のこと。ブッダの場合は仏滅とも言います)した後、涅槃(ねはん)に入ったとされます。さて、ゴータマ・ブッダの遺した最後の言葉は・・・というと、 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」死は誰にも避けられない運命であるから、嘆き悲しんでいるヒマがあるなら自らの修行に専念せよ、と弟子たちを戒めて亡くなったようです。ゴータマ亡き後も弟子たちの尽力によって教えは受け継がれ、時代によって変容しながらも、その精神は現在に至るまで語り継がれているのです。仏教入門と銘打った書籍は数多くあるものの、始まり~現代までの仏教史全体を解説するものが多く、ブッダの生涯にスポットを当てた書籍というのはとても少ないです。言わずと知れた、手塚治虫先生による「ブッダ」。ブッダの生涯を知りたいなら、まずはコレを読んでおきましょう。「仏教書は難しいから、マンガだと本当に分かりやすい」と知人の現役僧侶も申しております。国際的な仏教学の権威として知られる、故・中村元先生による書籍。と、いうわけで今回は仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタの生涯をざっくり紹介してみました。といった感じになります。(C)さとりずむ / 「ご覧のスポンサーの提供でお送り致します」って言いたいので、当ブログではスポンサーさまを募集してます。 ブッダは、一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか? ブッダが悟りを開かれるまでにどんなことがあったのかを知れば、 ブッダがどんなことを教えられているかが分かります。 ブッダの誕生日は4月8日. ブッダの教えはすべて、煩悩をなくしていくことが説かれています。 ブッダの教えはすべて、煩悩を吹き消すことが説かれています。 「こころの中の悪い煩悩を、滅していくことが大事なことだと」 生涯かけて伝えているのが、 ブッダの教えです。 ±ãç´å¾—し、そしてお釈迦様は、私たちが想像もできない35歳で仏のさとりを開かれたお釈迦様は、これを今日、仏教といわれます。ですから、ではどうすればその本当の→

Contents紀元前5世紀頃、現在のネパール南部に生を受けたゴータマ・シッダールタは、王族の身分として何不自由のない暮らしをしていたものの、真理を求めて29歳の時に出家し、35歳の時に悟りを開きブッダ亡き後、弟子たちは師の教えを後世に伝え続けようと、自分たちが見聞きしたことを確認し合うために一堂に会します。この「第一結集」では、ブッダが説いた内容を以下の3つに分類しました。この3つをまとめたものをまた、「第一結集」でまとめられた三蔵は口伝によってのみ伝承され、文字として残すようになるのは100~200年ほど過ぎた後のこと。それまではひたすら暗記で覚えていたようです。ブッダが亡くなって100年ほど過ぎた後、解釈の違いによって意見が分かれるようになっていきます。弟子たちは教義を再確認すべく「第二結集」を行いますが、ここで解釈の違いが決定的なものとなったようで、仏教教団はブッダが説いた「仏教」は、元々大乗仏教は、それまでの仏教の伝統的なスタイルであった「自分で修行し、自分で苦しみから脱する」ということを「利己的である」と否定し、大乗仏教を時代区分した際、中期頃に入ると「密教(みっきょう)」という考え方が現れてきます。宗教と言えばスピリチュアルなイメージを持つ方も多いと思うけど、密教はまさに神秘的な宗教体験を通して仏と一体となろうと考えました。インドから中国、朝鮮を経て仏教が日本へ伝わってきたのは西暦538年頃、飛鳥時代のことです。聖徳太子が仏教導入に尽力した、というのは社会の授業で習うこと。その後、日本古来から続く神道と「いいとこ取り」するような形で融合していき、日本では神さまと仏さまを同時に祀るスタイルになっていきました。仏教の伝播には大きく2つのルートがあり、1つはインドからシルクロードを通り中国、朝鮮、日本へと伝わったブッダ亡き後の「仏教」2500年の歴史を簡単にまとめると、といった感じです。(C)さとりずむ / 「ご覧のスポンサーの提供でお送り致します」って言いたいので、当ブログではスポンサーさまを募集してます。 仏教の開祖、ブッダことゴータマ・シッダールタの生涯を簡単に解説してみたよ!! 脳みそゆるゆるオカルトブログ。 ようこそ; お問い合わせ; Twitter; ホーム; オカルト; 宗教; 雑学; 宇宙; 心霊; おすすめ記事. ブッダの教えには、大きく分けて、2つがあります。 それは「縁起」と「四諦(したい)」です。 縁起は世の中の仕組みについて説明したもので、四諦はその世の中をどうやって生き抜くか、を説明したマニュアルだと言えるでしょう。