本作は、累計発行部数5000万部を越えるベストセラー少女漫画です。平凡な1人の少女、北島マヤが演劇で非凡な才能を開花させていく、というストーリーの演劇漫画。既刊49巻、連載40周年を越える国内有数の大長編作品でもあります。1976年から連載が続いている、美内すずえの作品。コミックスの既刊は49巻です。50巻が最終章になるといわれていますが、連載は数年前から中断され、続報も2016年以来ぱったりなくなりました。美内はインタビューなどで取り組んでいるとは語っていますが……。50巻が近い将来に発売されることを願いつつ、今回は本作の内容を振り返ってみたいと思います。引退した往年の大女優「月影先生」こと月影千草が、平凡な少女・北島マヤと出会ったことで始まる本作。月影先生はマヤの非凡さを見抜き、あらゆる試練を課して彼女を伸ばしていきました。本作は演劇がメインですが、その一方で恋愛漫画でもあります。主な相手は美男子・速水真澄。ライバル劇団の出資者である彼は、その実、マヤの影の後援者でもあるのです。恋と演劇の物語は、月影先生だけが上映権を持つ幻の演目「紅天女」へと集束していきます。49巻では真澄が自分の気持ちに素直になって、鷹宮紫織との婚約解消を決意。鷹宮会長は娘の精神不安定を理由に渋りますが、真澄はサナトリウムで養生させることを提案し……。この他、マヤがついに「紫のバラの人」と対面することが示唆されています。これらの内容は「別冊花とゆめ」2016年7月号に50巻の一部が先行公開される形で掲載されました。ファンにはお馴染みですが、美内は雑誌連載と単行本とでストーリーをがらりと変えることが少なくありません。先行公開とはいえ、実際に50巻が出てみるまで、この内容のまま収録されるかはわからないのです。果たして物語の結末は?主人公の北島マヤは劇中でよく「仮面をかぶるのよ」と自分に言い聞かせます。つまり作品タイトル『ガラスの仮面』の「仮面」とは、役者が演技するうえで役になりきるための精神状態、心理学でいうところの「ペルソナ」のことです。では「ガラス」とはどういうことでしょう?これは同じく作中で、青木麗の口から語られます。ガラスのように脆く儚い演技。『ガラスの仮面』というタイトルは、マヤのそれが薄氷の上を歩くがごとく繊細なものだ、ということを表しているのでしょう。主人公北島マヤと、そのライバル姫川亜弓。2人は間違いなく天才女優です。しかし、天才としてのタイプが異なります。これは2人の出自にも関わることですが、マヤが天性の勘による天才なら、亜弓は努力型の天才です。マヤは一言でいえば、持たざる者でした。勉強も出来ず、スタイルもよくない、そのうえ不器用。貧乏な家柄で、楽しみといえばテレビドラマや映画だけでした。しかしそのおかげか、1度見た演劇を完璧に記憶し、再現することも出来るようになっていました。研ぎ澄まされた感性の成せる技です。そんな彼女に対し、亜弓は対称的な恵まれた人物。有名女優と有名映画監督の間に生まれ、幼少期からさまざまなレッスンと訓練を受け、勉強も運動も抜群。周囲の期待に応えるのはもちろん、向上心の塊で、人知れず努力を重ねる秀才です。演劇のために生まれてきたような女優といえます。どちらも月影先生に実力を認められており、「紅天女」を演じるには充分な素質を持っています。甲乙付けがたいとはまさにこのこと。唯一違いを上げるとすれば、それは亜弓が稽古中に団員を庇ったせいで失明しかけていることでしょうか。目が見えなくても演技が出来るよう、彼女は執念で特訓しています。目の怪我といえば、かつて「紅天女」を演じた月影先生も右目を失明しています。果たしてこれは偶然の一致でしょうか。もしかすると、この設定が2人のライバルの決着を決めるかもしれません。月影千草は往年の大女優にして、劇団つきかげの主宰者。またその高い名声にも関わらず、悲劇的な人生を歩んだ人でもあります。彼女は貧しい家に生まれ、生きるために盗みを働くこともしょっちゅうでした。転機となったのは劇作家、尾崎一蓮との出会い。戦前戦中戦後の演劇に携わり、尾崎の「紅天女」のヒットで名女優に。ところが後援者と仲違いしたことで、劇団が頓挫。彼女は尾崎と男女として結ばれるものの、彼が突然自殺したために全てを失いました。めげずに再起した彼女は再びスターになるのですが、事故で右目を失明し、芸能界から引退します。以後、劇団つきかげを主催し、「紅天女」に相応しい後継者を探して育成する道に進むのです。「紅天女」は劇作家、尾崎一蓮が書いたオリジナルの劇中劇です。その内容は未だ断片的にしか語られていませんが、平安時代の仏師と梅の木の精を軸にした戯曲のよう。彼がインスピレーションを得た場所として、劇中では紅梅村という架空の地名が登場しますが、実在する奈良県吉野郡天川村の所在地とぴったり符合します。さらには天川村の天河神社には天女の伝説が残っており、これも「紅天女」を想起させます。また天川村近隣には賀名生梅林や広橋梅林といった景勝地があり、これがおそらく梅の谷のモデルとなったのでしょう。マヤの演技の凄いところは「役になりきる」というよりも、「役に取り憑かれる」とでも形容すべき迫真さにあります。たとえば、かの偉人ヘレン・ケラーの半生をモデルにした「奇跡の人」での一幕。目が見えず、耳も聞こえず、言葉も話せなかったヘレンが、アン・サリヴァンの尽力で水を理解する有名なシーンが出てきます。ヘレンに取り憑かれた彼女は、水風船に当たった時の衝撃をヒントに、「初めて水の名前を知った」瞬間を見事に演じきりました。本作と白目の表現は、切っても切り離せません。白目は作中で登場人物が大きな衝撃を受けた時や、感情的になった時によく見られます。これは作者の美内が感情表現を工夫した際、目を消したところ迫力が出たため、重要な場面では白目にするという方法をとったことで生まれました。確かに、白目のキャラには一種異様な存在感とインパクトがあります。これを逆手に取って、『ガラスの仮面』はパロディ的に使われることもよく見かけますね。『ガラスの仮面』の作風が典型的な少女漫画であることは否めません。少女漫画史においても重要な作品ですし、作品構造が理想的な少女漫画である、と評論する向きもあります。ですが、そういった先入観を抜きにすれば、本作は男性でも十二分に楽しめる作品です。というのも、演劇のシーンにスポ根の要素が多々見られるからです。熱血指導はもちろん、往年の『巨人の星』大リーグボール養成ギプスよろしく、人形になりきるための竹ギプスなる無茶苦茶な道具まで出てきます。やってる当人は大真面目、展開もシリアスなのに、スポ根的な大げさ表現も魅力なのです。『ガラスの仮面』は連載40周年を越える超長寿作品ですが、劇中ではほんの7年程度しか経過していないのです。作品内容が普遍的なために物語に違和感がなかったとしても、背景に描かれる小道具はそういうわけにはいきません。連載当初、劇中に出てくる電話はダイヤル式の黒電話でした。テレビも箱形のブラウン管。しかし、いつまでも数十年前のレトロ家具というわけにもいかず……電話は携帯電話を経てスマートフォンに、テレビも薄型へと変化しました。2人には当初から連なる因縁がありました。徐々に距離が縮まっているものの、基本的には不仲な間柄です。その一方で、マヤを密かに援助する「紫のバラの人」の正体は真澄であり、彼女は常に「紫のバラの人」を意識してきました。読者には明白ですが、彼は誰よりも彼女を買っており、「紫のバラの人」という仮面をとおしてしか素直になれないだけなのです。マヤの運命の転機には必ず真澄が関わっており、素直に考えれば結ばれるのが妥当でしょう。とはいえ、演劇と恋愛、どちらも成就するのは難しいとも美内は語っていますが……。そんなマヤと真澄の最大の障壁が、鷹宮紫織です。真澄の会社、大都芸能と深い繋がりのある鷹宮家ご令嬢。彼に一目惚れした彼女は、一方的な嫉妬心からマヤへの激しい嫌がらせをおこなっていきます。陰湿で狂気の宿った彼女の恐ろしさも手伝って、マヤファンからは非難囂々です。そのさまは今でいうところの、ヤンデレ。「めぐりあう魂」というエピソードでは、真澄の心を繋ぎ止めるために自殺未遂すらしてみせました。果たして彼女の存在が、2人にどう影響するのでしょうか?彼女は、劇団つきかげの所属女優。マヤの同居人でよき理解者であり、姉貴分です。公私ともに男前な部分があり、美青年役も演じるせいか、女性ファンも多くついています。基本的にマヤの味方ですが、決してイエスマンではありません。礼節に厳しく、あえて突き放したり、温かく見守る懐の深さがあります。そんなところが魅力的なキャラクターなのです。彼女は大河ドラマがヒットしたころに、マヤの付き人となった少女です。当初、冴えない付き人を装っていましたが、それは仮の姿。彼女は九州では名の知れた女優でした。マヤを陥れて、自分がスターダムにのし上がるために近付いたのです。会社ぐるみでマヤを罠にかけた彼女は、マヤの代役として人気者となりました。しかし、その後は……。聖唐人(ひじりからと)は、速水真澄に陰として付き従う側近です。真澄のことをよく理解しており、ことによると本人より本心を知っていそうなところがあります。物語の途中から、「紫のバラの人」とマヤの橋渡しをするキーマンとなります。非常に優秀な人物で、真澄の考えを先回りすることもしばしば。その有能さから、脇役にも関わらず高い人気を誇っており、ファンからの要望に応えて登場回数を増やすことも検討したのだとか。作者・美内すずえも驚くくらいの魅力あるキャラなんですね。2017年に連載40周年を迎えた本作。刊行が止まっている時期もありますが、その物語が他の追随を許さない長大なものであることは変わりありません。演劇がモチーフであるためか、台詞回しにも気が配られており、心を揺さぶる名言が多数出てきます。そんななかから、選りすぐりのベスト10をご紹介したいと思います。「ふたりの女王」の公演。マヤ演じる光の王女アルディスに対し、亜弓の闇の王女オリゲルドの存在感は格別でした。誰もが観客に支持されるのは亜弓と予想するなか、月影先生は意味深に呟いたのです。女優になることを決意したマヤに、月影先生はこう言い放ちました。実在したロシアの作家、マキシム・ゴーリキーも同様のことを言っています。どれだけ潜在能力が高かろうが、秘めた才能を開花させるも、埋もれさせるも自分自身の力なのです。アテネ座での公演のチャンスが巡ってきて複雑な心境のマヤに、真澄は表向き残酷な事実を突き付けました。彼はマヤを傷付けたことを思い返し、このように独白します。さまざまなしがらみから、素直になれない苦悩が感じられる言葉です。真澄が黒沼に「狼少女」の舞台を訪ねているのを見て、秘書の水城は彼がマヤを気にかけていることを察しました。そこで前出の「信号」を受けて、このように言ったのです。信号云々は彼のモノローグなので、いろいろ察知しすぎな気もしますが。いわゆる「紫のバラの人」の初めてのエピソードです。真澄は素っ気ない態度とは裏腹に、ライバル劇団のマヤに魅了され、密かに紫のバラを贈りました。キャラ的に見ても二面性があって面白いですし、物語的にも恋愛劇に深みを与えたきっかけの名言です。その才能や評価の高さにも関わらず、悪意ある人物が仕組んだ罠によって不当な扱いを受けたマヤ。それでもめげない、彼女のポジティブさが発露した台詞です。こちらもマヤの前向きな性格が窺える名言となっています。劇団つきかげでの活動が許されず、高校の演劇部にも入れない彼女。思い悩んで末に、彼女は「女海賊ビアンカ」という物語と出会いました。それがきっかけとなって再起を図るのです。マヤを芸能界追放に追い込んだ張本人・のりえ。ライバルを陥れられた亜弓は、演劇の成果で彼女を完膚なきまでに叩きのめしました。亜弓の実力と、彼女のマヤへの想いが感じられる名シーンです。特にどの場面の、というわけではありませんが、作中で頻出する台詞です。架空の人物になりきるマヤが、自己暗示的にこのように呟きます。見えざる役の仮面、『ガラスの仮面』というタイトル自体にかかっている特徴的な名言です。物語の最初も最初、無名の少女・マヤに秘められた才能を見抜いた月影先生は、高笑いしながらこう褒め称えました。大女優をして「おそろしい」と言わしめる能力は、皆様もよくご存知のとおり。名言はもちろんですが、本作はやはり演劇漫画だけに、1番の見所は作中劇といっても過言ではありません。実際の脚本を引用した名作から、美内オリジナルの創作舞台まで、いずれ劣らぬ面白いものばかりです。全てご紹介したいのはやまやまですが、今回は10本に厳選しました。マヤの初舞台がこの作品でした。彼女本人と同じく人見知りな3女・ベスがはまり役。病気のシーンを演じるために、40度の高熱に冒されて舞台に立つなど、正気と狂気の狭間の執念が見られました。ピアノのシーンは圧巻。「紅天女」の課題の1つ。正確には演目ではありませんが、水を表現する方法としてマヤが演じた龍神の迫力は、1つの公演に匹敵するほどの衝撃を与えました。亜弓がやった美しい人魚姫とは対照的で、彼女の独特な感性が窺えます。劇団つきかげと、劇団一角獣の共演。非常に苦しい状態からのスタートでしたが、荒唐無稽な悲喜劇が話題を呼んで、好評を博しました。この時のマヤに与えられたのは、動くことも話すこともない人形の役。そのなかで彼女がいかに難題に取り組み、どんな仕打ちを受けたかがポイントです。マヤは劇団つきかげの存続が危ぶまれるなか、悪意をもって大道具が破壊され、彼女以外の出演者は会場にいないという窮地に追い込まれます。彼女は最低限のセットで、元のままの脚本を見事な1人芝居として演じてみせるのです。公正な評価こそされませんでしたが、記憶に残る伝説となりました。これは演劇ではなく、劇中劇のテレビドラマです。アカデミー芸術祭で助演女優賞に選ばれたマヤが、大河ドラマに出演するという流れ。最初は舞台との違いに戸惑うものの、彼女は田沼沙都子という役を見事に演じきり、一躍スターの仲間入りを果たしました。皆さんご存知、舞台演劇の名作、ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。この「ジュリエット」という作中劇は、ジュリエット側の視点で描かれる1人芝居です。天才、姫川亜弓が体当たりで演じたパントマイムは必見。狼に育てられた狼少女・ジェーンの物語。真澄がきっかけとなって演じることになったマヤは、芸術祭の各賞を総なめにしました。日によって演出や内容が変化する、動的な作品。彼女は紅天女に一歩近づき、紫のバラの人の正体にも薄々勘付いていきます。ウィリアム・シェイクスピア原作、劇団つきかげと劇団一角獣による公演です。マヤは主要人物4人をあべこべにくっつけてしまう役回りの妖精パック。悪戯な小妖精は子気味よいスピードとリズムという、普段見られない彼女の魅力に溢れていました。可憐で美しい光の王女アルディスと、冷淡でほの暗い影の王女オリゲルド。前者をマヤが、後者を亜弓が演じるというミスマッチが面白い演目です。ライバルがともに引き立て合う、胸が熱い展開にも注目。すでにご紹介しましたが、ヘレン・ケラーの半生を題材にした演劇です。マヤと亜弓のダブルキャスト(2人1役)という驚きの上演形態でした。マヤはそれまでとまったく異なる偉人像で演じ、周囲を巻き込んでいったダイナミックな演目。単なる劇ではなく「戦い」にまで昇華された内容は、一見の価値ありです。