三浦友和と結婚して2人の息子に恵まれる. 本名は以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。 1973年にデビューして瞬く間にトップスターとなり数々のヒット曲を出した山口百恵さんは文字通り昭和を代表する売れっ子歌手でした。引退してから約40年経っても、その人気は健在です。そんな百恵さんですが、華やかな芸能生活の裏には壮絶な生い立ちがあったのです。是非、最後までご覧ください!目次令和の時代になって、百恵さんの歌はよく知ってても、百恵さん自身の事は詳しくは知らないって人が意外に多いんじゃないかと思います。そこで改めて、百恵さんのプロフィールを確認していきましょう。1972年12月のオーディション番組『スター誕生!(日本テレビ系)』で準優勝し芸能界入りを果たしました。1973年4月の映画『としごろ』で女優デビュー。同タイトルの主題歌で同時に歌手デビューを果たしました。ちなみに『スター誕生』では中森明菜、小泉今日子、ピンクレディなど多くの大物歌手を輩出しています。その後、数々のヒット曲を飛ばし、歌手として女優としてまさに人気絶頂の頃に芸能界を引退しました。そして、当時ドラマなどで共演した三浦友和さんと結婚しました。20歳で引退、結婚だったんですね。当時、画面に映る百恵さんはとても大人っぽくて落ち着いたお姉さんに見えました。今どきのアイドルとは全く次元が違いました。続いて、百恵さんの韓国人説について調べてみました。当時、父親が仕事で韓国に行くことが多かったうえに、百恵さんと母親と妹の3人は横須賀の鶴が丘の近くにある不入斗という「コリアンタウン」にある在日韓国人の人たちが多く住まれている県営住宅に住んでいたとので、韓国人説が流れたのです。住んでいたというだけなので、父親も百恵さんも韓国人ではありませんでした。通っていた中学にも在日韓国人の子が多かったので、そんな噂がでてしまったんでしょうね。続いて、百恵さんの生い立ちについて調べてみました。山口百恵さんの父親と母親は入籍はしていません。山口百恵さんは愛人の子として生まれました。母子家庭で育ち、生活は貧しく、生活保護を受ける生活を送っていました。山口百恵さんは家計を助けるために、新聞配達をしていました。苦労して二人の子供を育ててくれる母親の姿をみて、少しでも楽をさせてあげるために、芸能界入りを目指したんですね。山口百恵さんにとって芸能界入りは家計を助けるためであり、チャラチャラした気持ちは全くなかったんでしょうね。そして実際に芸能界入りし、社会現象を巻き起こすほどのトップスターとなりました。お母さんに恩返しができましたね。しかし、その母親の正子さんは、残念ながら51歳という若さで亡くなっています。その年齢で母親を亡くすというのは山口百恵さんにとって大きな喪失感をもたらしたことでしょう。壮絶な人生は続いていたんですね。続いて、そんな壮絶人生の元凶となった山口百恵さんの父親について調べてみました。山口百恵さんの父親の久保茂さんは医者でした。本妻もいて、その間にも子供もいます。久保茂さんは山口百恵さんの母である正子さんの父に「責任を持ってきちんとします」と、本妻と離婚して再婚するつもりであることを伝えました。しかし、実のところは戸籍上では”認知”という形だけだったのです。山口百恵さんの所に顔を出すのは日曜だけでした。さらにひどいことに、山口百恵さんの家庭には何の援助もしなかったのです。卑劣な対応です。おまけに母・正子さんに暴力をふるうこともあったのです。どんな思いで山口百恵さんはその状況を見ていたんでしょうか。そして、山口百恵さんが芸能界で売れると、さらにはどこまでも卑劣です。医者であったにもかかわらず、お金に困っていたのでしょうか。最終的には、山口百恵さんは自ら稼いだお金で多額の手切れ金を渡して父親と縁を切ったのです。絶縁をするほど、つらい思いをしてたんですね。続いては、百恵さんが自分の生い立ちを知った時について調べてみました。山口百恵さんが自分の出生の真実を知ったのは、芸能界にデビューした14歳のころです。その頃は個人情報保護法なんてものはなく、ひどい扱いですね。記事を読んだ山口百恵さんは、うろたえることはありませんでした。逆に、相当の困難があった中で必死に育ててくれた母親に感謝したそうです。14歳の頃というと、多感な時期ですよね。普通だったら恨んだり、ひがんだり、反抗したりするかもしれません。そうではなく冷静になれた山口百恵さんは14歳といえども精神的には大人だったんですね。続いては、山口百恵さんの感動のファイナルコンサートについて調べてみました。1980年10月5日、日本武道館でのファイナルコンサート。山口百恵さんは今も俳優として活躍する三浦友和さんとの結婚を機に人気絶頂のまま引退しました。山口百恵さんはファンに向けて「私のわがまま、許してくれてありがどう。幸せになります。」と告げました。そして「さよならの向こう側」を涙を流しながら最後の歌を歌いました。歌い終えると、ファンに深く頭をさげ、マイクをステージの中央に置いたまま舞台から去りました。このシーンは今でもたびたびテレビで放映され、伝説として語り継がれています。その後、一切メディアには登場することはありませんでした。いさぎいいですね。続いて、山口百恵さんの妹について調べてみました。山口百恵さんには5つ下の妹の淑恵さんがいます。母親は家族の為に懸命に働いていました。そんな中、山口百恵さんは小さい妹の面倒をよくみていました。妹思いなんですね。淑恵さんは百恵さんが賞を獲った時などは一緒にテレビに映ることもありました。しかし、百恵さんの妹ということで学校でイジメにあいました。そのため、山口百恵さんはそれ以降妹をメディアに出すことやめ、淑恵さんは一切メディアに姿を見せなくなりました。そしてその後、海外留学をされました。あまりの口数の無さに、夫の友和さんは淑恵さんに嫌われているのかと心配になった程なんだとか。その淑恵さんが留学を終えて、帰ってくるとまるで別人のように明るいハキハキとした妹になっていました。その様子に山口百恵さんはホッとしたでしょうね。お母さんの出棺の時に親族と一緒にいた白人男性が淑恵さんの旦那さんではと思われます。留学がきっかけとなって国際結婚をしたのでしょうか。留学時代に知り合った旦那さんなのか、帰国してからのご縁なのかは分かっていません。現在は、淑恵さんは一般の主婦として山口百恵さんのおうちにもよく遊びに来るそうですよ。年を重ねてもお互い仲いいんですね。姉妹っていいですね。続いて、山口百恵さんの父親のその後について調べてみました。山口百恵さんの父親は在日韓国人専用の施設に入っているという説があります。しかしこれには根拠が乏しく、デマだと思います。父親は純日本人であり韓国人ではないので、それは違うということですね。山口百恵さんも絶縁していることもあり、連絡は取っていないでしょうね。続いて、山口百恵さんの現在の様子を調べてみました。壮絶な試練を乗り越えて、栄光、引退、結婚から約40年経ちました。現在の百恵さんはキルト作家として活動されています。『東京国際キルトフェスティバル』等に出品されています。百恵さんは30年ほど前からキルト制作をしていて、その集大成として今回出版されました。二人の息子たちも自分の道を歩むようになった今、百恵さんもこれからの自分を考えているんでしょうね。夫の友和さんは陶芸をされています。夫婦で芸術に興味があるなんていいですね。続いて、山口百恵さんと三浦友和さんの息子さんたちについて調べてみました。山口百恵さんと三浦友和さんの間には、1984年4月に長男・ 祐太朗さんは百恵さん同様に当時”ユウ”と名乗り、両親の事は伏せていましたが、わずか1ヵ月で芸能リポーター梨本勝氏に察知されてしまったそうですよ。 2010年にメンバーの脱退などの理由でバンド活動を休止。2011年に、”三浦祐太朗”名義でソロ活動を開始します。 2012年に、松山千春氏の自叙伝を原作にした『旅立ち~足寄より~』で、応募者823名の中から主演に抜擢。松山千春氏の名曲「旅立ち」のカバーで 2017年には、百恵さんのヒット曲を歌ったカバーアルバム「I’m HOME」をリリースし、  歌手として音楽番組への出演だけでなく、バラエティ番組などへも出演する様になり、その中で、今日のしゃべくり神回!笑まさか冴えカノが出てくるとは思ってなかった!笑三浦祐太朗が羨ましい笑加藤恵にこんなこと言ってもらえるなんて笑— ブラッキー@シドゥリさん好きな村正待機勢 (@question1397)  好感度も上がったのではないでしょうか^^  そして、2020年6月に声優・歌手として活動する三浦祐太朗と牧野由依が結婚「私達らしい歩みで朗らかな家庭を」(コメントあり)— 音楽ナタリー (@natalie_mu)  馴れ初めはやはりアニメ繋がりなんでしょうかね( *´艸`)百恵さんも2人の結婚にさぞ喜んでいる事でしょうね。  続いて次男の貴大さん。貴大さんは大学時代 そこで父親である三浦友和さんに相談した所、映画『RAILWAYS』への出演が決定!同作での演技が評価され、 2011年『学校をつくろう』で映画初主演。2012年『ふがいない僕は空を見た』『我が母の記』などの演技により、 その後も、数々の作品に出演。つい最近では、2020年前期のNHK連続テレビ小説『エール』での早稲田大学応援団長役が記憶に新しいですね。早稲田・田中と慶應・御園生(みそのう)の貴重なオフショットを公開✨— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk)  母のように歌手になった祐太朗さん、父のように俳優になった貴大さん。やはり背中を見て育ってきたからこそなんでしょうかね。 学生時代には、同じ水球部とライフセービング部に所属し、バンドも一緒に組んでいた時期もあるそうですよ。 兄弟仲が良いという事は、きっと家族仲も良いという事でしょうね。 立派に成長した2人の息子さんの事を、百恵さんも誇らしく思っている事でしょう^^ 山口百恵生い立ちは韓国人?妹・淑恵や父親の現在についても徹底調査!についていかがでしたか?山口百恵さんは韓国人ではなく純粋な日本人でしたね。壮絶な人生を送ってきた百恵さんにとって愛する人と出会い平凡な家庭で幸せな家庭を作ることが百恵さんの目指す頂点だったんですね。それが、たとえトップスターの座を捨てることになっても。今回、キルト作品の本を出版するにあたって、紙面で少しだけ表舞台に顔を出されました。もしかしたら、また百恵さんをテレビで観ることができる時がくるかもしれませんね。少しだけ期待しておきましょう。