セバスチャンのアパートの玄関のシーンで後方に見える派手なリオンが宿泊していた「ユーコンホテル(YUKON HOTEL)」は、外観は美術スタッフの製作したミニチュアだが(このミニチュアは看板の文字を「NUYOK」と組み替えて別のシーンでも使われているハンニバル・チュウの工房は、外観はスタジオセットであるが、内部は公開25周年時に日本で行われたファイナルカット・カウントダウンイベントの際、来場した全ての観客にポスターやネガフィルムやフライヤーなどが配られ、劇中の広告に使用された「本作には前述のわかもと等実在企業が数多く登場した一方、史実では業績不振に陥り消滅・破産した企業もある(本作には諸般の事情により、他映画作品では類を見ない7つの異なるバージョンが存在する。とくにスコットが再編集したなお、サンディエゴ覆面試写版とUSテレビ放映版を除く5つのバージョンは、日本では2007年12月14日にリリースされたDVDボックス『ブレードランナー 製作25周年記念アルティメット・コレクターズ・エディション(以下『UCE』)』1982年。113分。『UCE』では「ワークプリント版」と称される。本作公開前の同年3月、以下は本バージョンのみで見られるシーンである。 はじめにお断りしておきますが、この稿をしたためている時点では(2017年10月26日)、筆者はさて、1982年公開、後にSF映画の金字塔とまで呼ばれるようになった『ブレードランナー』、この作品の登場人物の中で、デッカード(ハリソン・フォード)とロイ・バティー(ルトガー・ハウアー)の二人を除いて、最も観客の印象に残ったキャラクターと言えば、誰もが美しき女性レプリカント、また彼女の存在そのものが、作品のテーマに直接結びついており、映画『ブレードランナー』の最重要キャラクターだったといっても決して過言ではありません。レイチェルを演じたのは、アメリカ人女優のショーン・ヤングは1959年11月、アメリカはケンタッキー州のルイスヴィルで生まれました。テレビの大物プロデューサーを親に持つ彼女は、ミシガンにあるインターラーケン・アート・アカデミーのハイスクールへ進学、ニューヨークへ居を移してからはバレエダンサーになるべくダンスや演劇を学びますが、途中でその道を諦めモデルとして活動、やがて女優への道を歩みはじめます。その美貌であっという間に頭角を現した彼女は、20歳そこそこにしてジャームズ・アイヴォリーの『ジェーン・オースティン・イン・マンハッタン(1980)』(アリアドネ役)や、ビル・マーレイの主演コメディ映画『パラダイス・アーミー(1981)』(ルイス・クーパー役)等の話題作に立て続けに出演します。そして『ブレードランナー』のレイチェル役のオーディションへ参加するに至るわけですが、当時の有名女優がズラッと名を連ねた50人を超える候補者の中でも、やはり彼女の存在感は群を抜いていました。ポール・M・サモン著の『メイキング・オブ・ブレードランナー』の中で監督のリドリー・スコットがインタビューでショーン・ヤングをやがて世界中を巻き込んだ巨大なカルト映画へと成長した『ブレードランナー』を経て、ショーン・ヤングの一流女優としてのキャリアも順風満帆かと思えました。1980年代は出演作も相次ぎショーン・ヤングの「奇行」として3つ有名なエピソードがあります。1つは前段の元恋人へのストーカー行為。2つめは『バットマン リターンズ』への出演を直訴すべく撮影中のティム・バートン監督のもとへ手作りのキャットスーツを着て現れたこと。3つ目は2012年、アカデミー賞のアフターパーティーへ入場しようとして、警備員に招待状を持っていないとして遮られ、その警備員を平手打ちして逮捕されてしまったこと。普通に聞くとお騒がせ女優の笑い話。どれも身から出た錆と片付けてしまえばそれまでですが、「こんなはずじゃなかったのに」という彼女の心の叫びが聞こえるような気がして、『ブレードランナー』を愛する身としてとても切なく寂しい気持ちになります。歴史にタラレバはありませんが、2017年現在、ショーン・ヤングはテキサス州オースティンに在住。1977年生まれ。スターウォーズと同い歳。集めまくったアメトイを死んだ時に一緒に燃やすと嫁に宣告され、1日でもいいから奴より長く生きたいと願う今日この頃。ポップカルチャーで世界を変える。© Copyright 2020 - THE RIVER by スコットはこの検査装置をデザインするにあたり、「ハイテク機器のようには見えない」「対象者を威嚇するような感じに」「デリケートな装置に見えるように」という要望を出したなお、プロップとして製作された装置にはカメラ機能はなく、モニターには実際にそのシーンで「検査」されている俳優の瞳が映っているわけではない。俳優たちの瞳のクローズアップも撮影されたが、モニタに当たる部分に投影されているのは、科学教育用フィルムの素材提供会社より調達された別人の瞳の映像である前述のように、ミードは当初「カーデザイナー」として起用された。彼の描いたコンセプトデザインこの他、撮影所の倉庫の隅に保管されていた1960年代の中古車があり、それらは他の映画の撮影に際して様々な装飾が施されていたものだが、これらも「エキストラ」として渋滞の列に並ぶ車として用いられている「スピナー(Spinner)」は、劇中に登場する架空の飛行車の総称である。 デッカードは人間かレプリカントか ― 『ブレードランナー 2049』永遠の謎に脚本家&出演者が証言 (C) 2017 Alcon Entertainment, LLC., Columbia Pictures Industries, Inc. and Warner Bros. Entertainment Inc.

「ブレードランナー」という名称は、SF作家「レプリカント(replicant)」という名称については、原作の「アンドロイド」が機械を連想させることと、観客に先入観を持たれたくないと考えたスコットが、ファンチャーに代わって起用した脚本の「フォークト=カンプフ(Voight-Kampff検査は専用の分析装置を用いることによって行われ、装置は本体に黒い大きな劇中では、リオンとレイチェルがこれによりテストを受けているシーンがあり、デッカードとタイレルの会話において、レプリカントであるか否かを判定するためには通常2~30項目の質問が必要になる、と述べられているが、レイチェルがレプリカントであることを判定するには100項目以上の質問が必要であった。この描写から、質問項目に対する反応は「自分がレプリカントという自覚があるかどうか」に大きく左右されること、「記憶」の内容(レプリカントの場合は記憶として「移植」されたものの内容)によっては、レプリカントであるか否かの判定が容易には行えなくなり、テストの正確性が大きく揺らぐことがわかる撮影中の脚本やスケジュールの変更、単純なミスなどにより、劇中では整合性のとれない箇所がいくつかみられる。当初、本作の年代設定は2020年だった。しかし、英語において「Twenty-Twenty」がミスの中で生まれたものとして有名なのが「6人目のレプリカントはどこに行ったのか?」という問題である。警察署のシーンでブライアントは、地球に侵入したレプリカントは「男3人、女3人の計6名」であり、「うち1名は既に死亡している」と説明している。残りは5名となるはずだが、彼は「4名が潜伏中」と言い、劇中でもそれしか登場しない。 『ブレードランナー』のあらすじをネタバレで紹介します。1982年に公開され、今日では「sf映画の金字塔」とも呼ばれている映画『ブレードランナー』は、その革新的な世界観や哲学的なテーマから、ファンの間で様々な考察が繰り広げられている名作です。 ファンチャーの脚本では5人目のレプリカント「ホッジ」と6人目の「メアリー」が設定されており、後者については配役も決まっていたが(続編として発表された小説『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』は、この6人目のレプリカントに関する物語になっている。また、当初はタイレル博士もレプリカントだという設定だった(後述)。 ポリススピナーは各種サイズの複数のミニチュアと実物大の4台の実物大プロップの製作は「空を飛ばない」自動車と同じくジーン・ウィンフィールドと彼のチームが担当した。4台の内訳は、映画の撮影が終了した後、これらのプロップは映画の宣伝に使用され飛行シーン撮影用の“フライング・スピナー”は1990年代初頭に「デッカード・セダン」と共にエッセンSF博物館に展示されているポリススピナー上方より撮影したポリススピナー 並列に配置された座席のある操縦室がわかるスピナーと並んで本作品を語る上で重要な小道具として、デッカード他が使用した架空の映画の製作にあたり、スコットは従来のSF映画でよく用いられた「明るい光線を発射するレーザー・ピストル」を避けたいと考えており、それに代わる全く新しい表現を求めていた。これに対し、特殊効果監修のデヴィッド・ドライヤーが考案したものが、「ブラックホール・ガン」であったこれは「強力な分子破壊ビームを発射し、命中箇所を分子レベルで破壊する」というもので、画面上ではまったく光を発しない「黒いビーム(Black beam)」が銃から目標に発射され、命中すると目標は消滅する、という表現が考案された。これは、派手な血飛沫や出血を描く必要がない、という点でも良案とされたしかし、冒頭でリオンがホールデンを銃撃するシーンにおいて、特殊効果を挿入したカットを試験的に制作したところ、「ただの暗い筋にしか見えず、劇的効果が得られない」と判断され、このアイディアは他のシーンでは用いられなかった主人公のデッカードらが使っている銃については、公式な命名がなされていない。いつ、どのような経緯でそのように呼ばれるようになったかは判然としていないが、日本では1983年の初公開時の映画パンフレットにおいて「ブラスター」の名称本作品に登場するオリジナルデザインの品々の中で、この「ブラスター」はシド・ミードのデザインではない。当初彼がデザインしたモデルは前衛的に過ぎ、本作品の状況設定にそぐわず採用は見送られ改めてプロップを製作するにあたり、まず参考にされたのが、映画『撮影に用いられたリオンの用いた銃として使われた作品の象徴でもある、日本語で書かれた看板やネオンサインが並び、多国籍の人々が行き交う未来都市の街頭は、その他のシーンは基本的にはなお、ブライアントがデッカードにレプリカントのプロフィールを説明しているシーンは、スタジオセット内で撮影されている劇中で複数回登場した白い内壁のトンネルは、内壁を白い陶製のデッカードの自宅シーンに使用されたのは、ロサンゼルス郊外にある邸宅、エニス邸は後のスコットの監督作『J・F・セバスチャンが住むアパートとして使用されたのは、ロサンゼルスのダウンタウンにある作中の設定ではデッカードのアパート等と同じく超高層ビルということになっているため、外観や屋上のシーン等は合成処理で高層建築に見えるように加工されているが、内部は演出上の装飾として荒れた雰囲気に飾り付けられた以外は、玄関として映る部分をビルの北西側エントランスにセットの柱を付け足して作り変えた他は元のまま用いられている。内部が吹き抜けになっていることや、吹き抜け部分の天井がガラス張りになっていること、内廊下の外周にオープンケージタイプの撮影に使用された際もオフィスビルとして現役で使用されており、本作の撮影は営業時間外に行われた。映画製作に使用できるのは午後6時から翌日の午前6時の間に限られ、美術設定に従って各種の装飾となお、セバスチャンの部屋の内部や、デッカードとバッティの戦いの舞台となる室内部分はスタジオにセットを組んで撮影されており、デッカードが壁沿いを伝って移動するシーンや屋上でのクライマックスシーンは、ブラッドベリ・ビルの上部3階層を再現した屋外セットが作られてそこで撮影され、合成処理が施されているブラッドベリ・ビル外観ブラッドベリ・ビル内観