ですから、ベン・ソロは本当に死んでしまい、再び実体として姿を表すことはないということ。ただ、今後のスターウォーズ作品でレイが出ることがあれば、エピソード9のルークのように霊体として彼女の前に姿を表すかもしれません。 YouTubeにスターウォーズの英語(セリフ)を既に(1150)本しゃべって、英語 勉強(Learn English)で上位続出の私が、ヨーロッパで3年仕事もしてきた経験からビジネス英語的に直しますので、ぜひ学んでくださ … スターウォーズエピソード9スカイウォーカーの夜明けはテンポが速く、一度見ただけではついつい見逃してしまうシーンも少なくなかったと思います。そこでこの記事では特に見落としがちで、なおかつ重要な細かいポイントをふたつ紹介します。なお、ネタバレも スターウォーズエピソード9スカイウォーカーの夜明けはテンポが速く、一度見ただけではついつい見逃してしまうシーンも少なくなかったと思います。そこでこの記事では特に見落としがちで、なおかつ重要な細かいポイントをふたつ紹介します。なお、ネタバレも含みますので、知りたくない人はくれぐれもスルーしてください。続三部作のエピソード7,8、9を通じて最も敵キャラとして存在感があったのはスノークでもなければ、パルパティーンでもなく、カイロレンじゃないでしょうか。カイロレンはオリジナル三部作のダースベイダーのキャラと被るところがあり、最強の敵でありながら最後はライトサイドに戻るという点においても共通していましたね。また、ダースベイダーにアナキンスカイウォーカーの素顔があるように、カイロレンにもベンソロとしての違う一面がありました。そんなカイロレンことベンソロですが、続三部作を通じてたった一度だけしか笑わなかったことに気づいたでしょうか。それもそのはず悪役の彼には笑顔は不釣り合いだったからです。しかし彼は確かに一度だけ白い歯を見せ、屈託ないの笑顔で笑いました。その貴重な一回がスカイウォーカーの夜明けで起こっていたのです。そのシーンとはベンソロがレイとキスした後のことです。散々過ちを犯してきたベンソロがですが、自分の命と引き換えにレイの命を救ったとき、自分は正しいことをしたという確信が持てたのでしょう。あれこそがキリスト教でいうところのベンソロにとってのリデンプション、つまり罪の贖いだったのです。それを果たしたとき、初めて彼はああして心から笑顔になれたんだのではないでしょうか。物語の中でレイアが死んだのは、カイロレンとレイの決闘シーンでのときでした。しかしその後のシーンをよく見ると、実はあのときレイアはまだ完全にはこの世からいなくなっていなかったことが分かります。最後のフォースの力を振り絞ってカイロレンに話しかけたレイアは、確かにその直後に命を落としました。そのことはカイロレンもレイもフォースで感じ取っていましたねフィン、ポー、チューバッカがレジスタンス軍の基地に戻ると、レジスタンスのメンバーはみんなレイアの死を嘆いていたことからも死んだことは間違いないでしょう。ただし、見逃してはならないのがレイアの代わりに指揮を執ることになったポーがレイアの遺体の前に行き、自分の不安を打ち明けるシーンです。あのときレイアの遺体はまだあの場所にあるのがポイントです。つまりあの時点でレイアは息をしていませんでしたが、彼女の肉体と魂まだ存在していたのです。ところがベンソロがレイの命を救い、姿を消したとき初めてレイアの体も一緒に消えたのでした。体が消えるのは、最後のジェダイでルークスカイウォーカーが死んだときともそうですし、エピソード4新たなる希望でオビワンケノービが死んだときも同じでしたね。つまりレイアが本当の意味でこの世からいなくなったのは彼女の体が消えたあの瞬間だったといえそうです。そう考えると、レイアは息子が息を引き取るまでずっと見守っていたことになります。あれは息子の行いを見守る親心だったのでしょう。最後の最後までレイアはベンソロのことを気にかおけていたのです。そしておそらく彼らはフォースゴーストとして再会したのではないでしょうか。以上スターウォーズエピソード9の細かい二つのポイントについてでした。 ですから、ベン・ソロは本当に死んでしまい、再び実体として姿を表すことはないということ。ただ、今後のスターウォーズ作品でレイが出ることがあれば、エピソード9のルークのように霊体として彼女の前に姿を表すかもしれません。 「スターウォーズスカイウォーカーの夜明け」が公開されました!公開初日に映画館に行きましたが、平日ここまでの混雑を経験したのは初めてです。さすがスターウォーズですね!さて「スカイウォーカーの夜明け」ではベンはあそこで死んだと考えるのが妥当なのでしょうか?それとも生きている可能性はあるのでしょうか?考察します。またエピソード10以降での復活・再登場についても考えます。なおこの記事にはネタバレを含みますのでご注意ください。 目次個人的にはでも判断がむずかしいですね。はっきり死んだとわかる材料がないだけに、意見は分かれるところだと思います。映画の終盤、レイはパルパティーンの攻撃を2本のライトセイバーで跳ね返し、パルパティーンを倒します。しかし大爆発が起きたため、レイも死んでしまいます。ここにレンが戻ってきてフォースの治療効果(?)でレイは蘇生します。レイがレンにキスし、このまま終わるか思ったらレンの体が消えて影も形もなくなってしまいます。まるで前作「最後のジェダイ」のラストで、消えていなくなったルークのように。  体が消えたという点はルークとレンは共通しています。ただルークが消えたときは、レイが「ルークが逝った」と感じ取っており、レイアも「私も感じました」と話しています。レンの場合、ルークのときのようにはっきりわかるものがないので判断はしづらいです。それでもレンの体が消えた事実を考えると、レンの体が消えた理由を考えてみます。スターウォーズではオビ=ワンやヨーダのように、レンはフォースと一体になったと考えることができます。レンは死んで彼の肉体自体はなくなりました。ただ彼の体は消えたものの、フォースと一つになれば霊体として人の前に現れることはできますし、生きている人と交信することができます。「スカイウォーカーの夜明け」でもレイの前にルークが現れましたし、「最後のジェダイ」ではルークの前にヨーダが現れました。スターウォーズではフォースと一つになる時には、今回のレンのように体が消えてなくなることがあります。前の作品でのルークもそうでした。物質としてのカイロ・レンは消えたが、フォースと一体になったレンは存在していると考えることができます。【ムービー・マスターピース】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』 カイロ・レン揺れる心を持つ男 — Color (@Color06917841) フォースの使いすぎにより体に負担がかかったため死んでしまったと考えることができます。「最後のジェダイ」で、自らの分身を作ったことで体に負担がかかり死んでしまったルークと同じようにです。一度死んだレイを蘇らせたのですから、かなりのエネルギーが必要だったでしょうし、レンの体にはかなりの負担がかかっていたことが考えられますレイを蘇生させたところでレンは力尽き、体が消えた(フォースと一体化した)と考えることができるでしょう。【ムービー・マスターピース】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』 カイロ・レン揺れる心を持つ男 — Color (@Color06917841) 1つ目の死因に加えて、パルパティーンから受けたダメージが死につながったと考えることができます。あの直前にレンはパルパティーンからフォース・ライトニングによる攻撃を受けたうえに、部屋の外まで吹き飛ばされてしまいました。そこで死んでしまっても不思議ではありません。それほどのダメージがありました。でもカイロ・レンは生き残り、最後の力を振り絞りレイを蘇らせます。フォースを使う前に体に大きなダメージを負ってしまったため、それが死因になったと考えられるでしょう。エピソード10以降のカイロ・レンの復活・再登場は可能性としてはあると思います。その時はもちろんライトサイドのベン・ソロとしてです。肉体はなくなっても霊体として今後の作品に出てくることは考えられます。ただレンの再登場はレイ次第なのではないでしょうか。レイが光ならレンが闇。レイが陽ならレンが陰。コインで言えば2人は表と裏の関係です。レイがいたからこそのレンであり、また逆もしかりです。もしレイが苦境に陥ることがあれば霊体となったレンが現れ、励ましたり導いたりすることはあるかもしれません。ただ可能性は低いでしょう。レイはもうスターウォーズに出演しないかもしれませんしね。すべてはエピソード10以降の内容次第、レイ次第ではないでしょうか。前作「最後のジェダイ」までは敵役として物足りなさがあったカイロ・レン。しかし「スカイウォーカーの夜明け」では十分な存在感を見せてくれましたね!Twitterでもカイロ・レンに対して高い評価が与えられています。いい作品でしたね。最後まで読んでいただきありがとうございました!・・・ 今日は批判をしようと思う。   こうした批判をすることには何の得もない。むしろ感情が先に来て不必要に刺々しくなったり、どうしてもネガティブな表現を使わざるを得なかったりして、記事そのものが楽しいものではなくなってしまう。楽しくないのは良くないことだ。万事楽しい方がいい。貶すよりも褒める方がいい。   ただ、強い感情の揺らぎがあった時は文章にして考えを整理して一区切りつける、という方法が私の中で儀式的なものとしてある。今回もそれに準じて一度儀式を行わないと少々引き摺りそうだなと思ったのだ。何を隠そう、私はエピソード9を観て大きなダメージを受けたからだ。なので、これは販促でも布教でもなく、ただ単に私がこのやり場のない後ろ向きな感情をぶつけたいという気持ちで生まれた記事であって、非常に刺々しく、ネガティブで、人によっては受け入れ難い要素を内包している事を先に記しておきたい。   もちろん、この記事はネタバレに溢れている。これを読んでいるあなたが少しでもスカイウォーカーの夜明けを楽しみにしているのなら、こんな記事を読んでいないで今すぐに劇場に行くべきだ。少なくとも、ここにはあなたの期待を台無しにするものしかない。      ……さて、そうしたファンはもうブラウザバックしただろう。もう、スカイウォーカーの夜明けを楽しみにしているファンはいないな?無垢な   では、始めていこうと思う。   批評にあたって、まずはエピソード9は作品として仕上げることそのものが困難な作品であったことを前提としたい。だからこそ、エピソード9という作品を仕上げたというだけで一定の評価に値する。それは前提だ。そして、それを前提としても受容できないものが多かった。   エイブラムスとライアン。エイブラムスは『フォースの覚醒』(以下EP7)という  彼らは大勢の視聴者の期待に応えようとしていたのだろう。彼は古い人間が想像するような、我々が慣れ親しんだような勿論、EP6までのキャ  私たちのようなオタクがその分厚い眼鏡を通して見れば、  EP8が公開されて間もなく、ライアンは          世間に流されて「やはり俺が観た映画は糞だったのかも」と思いはしなかっただろうか。EP8なら好きに叩いてオモチャにしていいという流れに最初から最後まで迎合しなかったと胸を張って言えるだろうか。     これだけ叩かれたEP8の流れを継承して作品を作ることは無謀な挑戦であり、ビジネスとして見ても美味しい話ではない。勿論、オタク連中を納得させる作りにすることはできるかもしれない。できるかもしれないが、世間的に散々な評価のEP8の続きを作るメリットは薄い。リスクは果てしなく、見返りは少なく、そこら中にばら撒かれた伏線という名の負債をどうにかしなければならない。三部作の物語を終わらせるために必要だったことは、EP8を活かす事ではなく、EP8を封殺することだったのだと思う。      これは開始10分でこの映画がどういった作風なのかを端的に表している。   この時空では死人は口を開くのである。  これを「テンポが良く、飽きさせない」と見るか「何の情緒もなく、高効率でやるべき事を済ませているだけ」と捉えるかは視聴者次第ではあるが、私は完全に後者だと感じた。特に議長と今作で最も、本当に、最も見たくなかったキャ   EP9の厄介な所は、随所に挟まれるシーン単体で見ると中々に熱いものが多いことだろう。私たちのような人種が細かい要素の1つ1つに辟易し、気持ちを落ち込ませている所に、「見栄えだけは良いシーン」「過去作を思わせるシーン」を挿入してくる。整合性を考えずに30秒〜1分程度のシーンの切り取りをすれば名場面と呼べそうなものは多い。ここは評価できる点のひとつだとは思っているが、問題は、それに “やりすぎ感” が伴ってしまうことだ。   見栄えが良いだけのシーンが入ってくるだけならまだ良い方で、決定的に過去作と設定が乖離している要素も存在する。例えば、フォースだ。EP7以降の作品全体に言える事だが、フォースを万能の力として用いているところは、ディズニーは過剰な演出だ。過去作品との整合性が取れていない。   いや、過去作の設定に準ずるならば、できてはいけないのだ。シークエルは生身で宇宙空間を遊泳するレイアのように、フォースの設定が曖昧であることを活かして(悪用して)トンデモ演出に走りがちなところがあるが、EP9はその要素がかなり強い。全作品通して最も強い。      しかし、  皮肉な事に自分の作品で自分の作品に決着が着いていないことを示してしまっている。次はファーストオーダー・アゲインとかなんとか名前を付けてまた残党でも集めて銀河を支配させるか? それは質の悪いジョークだとしても、これですべてが終わるという戯言には説得力がまるで無い。  あらゆる言動が説得力を持たず、前後関係を無視して入れ込んだ低品質で薄っぺらいシーンに見えるのだ。私の見たEP9はシークエル・トリロ   これはただの喧嘩であって、エイブラムスと       EP9はEP8を痛烈に否定し、過去のキャラの復活やオマージュに溢れるシーンといったファンサービスをこれでもかというほどに盛り込んで、おそらく、現時点での反響を見るに、成功したのだ。   劇場で涙を流した者もいただろう。エイブラムスに賛辞を贈ったものもいただろう。EP8の汚名を華麗に返上したと、胸がすくような気分になった者もいただろう。そうだ、これが  エイブラムスの奮闘を褒め称える声と、『スカイウォーカーの夜明け』を歓迎する声の中で、私たちは取り残されてしまった。私たちは    と。