ジョーンズが仕事を終え、家に帰るとメアリーが受話器を手に取り乱していた。ジョーンズが「何があった」と尋ねると、ラジオの母であるマギーがラジオが家で暴れまわったことが生徒の保護者の耳に入ったことにより、学校理事会から再びタッカーがやってきた。タッカーは「ラジオは学校にいるべきではない」と主張し、保護施設の資料を集めるなど、ジョーンズを苛立たせる行為をした。その後ジョーンズはジョニーの父であり、町の権力者のフランクに「ラジオを追い出そうとしているのか」と問いただすためフランクの仕事場に向かった。フランクは「昔の環境に戻した方がいい」とラジオを追い出したい意思を否定しなかった。 ある日、ジョーンズは遠征にラジオを連れて行くことを打診するが、ハナ高校のダニエルス校長に反対されてしまう。アメフト部の部員の保護者のなかにはラジオのことを快く思っていない人がおり、ダニエルス校長はラジオの処遇についてジョーンズの意見と学校理事会の意見との板挟みにあっていた。ジョーンズは遠征に連れて行けなかったことに対してのお詫びとして、ラジオに選手入場を先導する役を任せた。そのままサイドベンチに入ったラジオは大声を出し、敵に作戦をばらしてしまい、チームを劣勢に陥れてしまった。そのことにより、周囲の批判を助長させる結果になった。チームが例年より悪い5割という成績になったことも重なって、ジョーンズに対し、町の人は「余計なものに気をとられていたのではないか」と批判した。 アメリカのサウスカロライナ州アンダーソンという町のハナ高校は、スポーツが強くてバスケットボールと共にアメフトの強豪校。町の人たちもそんなハナ高校を応援していて、アメフト好きの支援者達が毎晩のように理容店に集まるほどです。 ジョーンズは練習場の周りをショッピングカートを押しながら黙々と歩く青年のことが気になっていた。青年は年齢不詳のジョーンズは青年(本名:ジェームス・ロバート・ケネディ)に、ラジオを聞くことが好きであることから“ラジオと愛称を与えた。出会った当初、ラジオは誰とも話そうとしなかったが、天性の明るさからすぐに人気者になった。ラジオの家族は母(マギー)、兄(ウォルター)がいる。ラジオの父はすでに亡くなっているため、マギーが全ての生活費を病院での長時間労働によってまかなっていた。マギーはラジオのことを「知能の発達が人より遅いだけ」と優しく見守っている。 地元ハナ高校 (T. L. Hanna High School)のアメフト部(愛称はイエロー・ジャケッツ)は、州大会でも上位に進出する強豪校であり、シーズンが始まると町中はアメフト一色になった。

ジョニーが謹慎処分から戻ってきたイーズリー高校とのバスケットの試合前、ラジオは大切にしている小型ラジオをジョニーがジョーンズに怒られたことに対してのお詫びの品として渡した。ジョニーはラジオの純粋さに心が突き動かされラジオのことを真に好きになった。ジョニーはこの試合で大活躍をし、勝利に貢献した。試合後ジョニーがラジオに挨拶したことに対しフランクは「誰にもお前の邪魔はさせん」と言ったが、「ラジオは邪魔になんかならない」とジョニーはラジオを庇った。 シーズンが終わり、ジョーンズはラジオに新たな役割を与えようと学内にもラジオの居場所を広げた。ダニエルス校長はラジオが生徒の学業に支障をきたすのではないかと危惧し、ジョーンズに対し「絶対にラジオから目を離さないように」と釘を刺した。あくる日ジョーンズは呼び出しを受け校長室に出向いた。保護者の要請により、学校理事会からタッカーという職員がやってきた。タッカーはラジオについていくつか質問をしたが、ジョーンズは「ラジオは無害だ」と主張し、タッカーとまともに取り合おうとしなかった。 マイク・リッチ 『僕はラジオ』 清水由貴子 竹書房、2004年、227頁、ISBN:978-4-8124-1821-5 1976年、アメリカ南部、サウスカロライナ州アンダーソン。その町のハナ高校で、アメフトチームのコーチを務めているハロルド・ジョーンズ(エド・ハリス)は、シーズンが始まると、頭の中はチームのことだけになる。 僕はラジオってどういう意味だろうと思っていたら、知的障害のある青年の愛称だった。ラジオが大好きだから、そう呼ばれるようになったと言う事らしい。実際にあった話とのこと。 知的障害のラジオ役を、キューバ・グッディング・ジュニアが熱演。マジメに、何事にも一生懸命に取り組む姿がすばらしい。ジョーンズコーチ役は、エド・ハリス。2人の暖かい交流が素敵。「ラジオは高校でいろいろな事を学んだけれ、自分たちの方がラジオからもっと学んだ」と言う彼の言葉が印象的だった。 なんのヒネリもないけれど、ただただ感動的なお話。 こちらにも載せたので、見てね。 プレゼントをラジオの家まで届けた際、マギーはジョーンズに「なぜこんなにも優しくしてくれるの」と問いかけると、ジョーンズは「正しいことだから」とシンプルな言葉で返した。翌日、ラジオはもらったプレゼントを近隣住民に配り回った。ラジオの優しさに溢れた行動は町の人々には真似できない行動だった。 サウスカロライナ州の学校一覧です。サウスカロライナ州の大学、大学院、語学学校、高校などの学費・費用、ランキング、体験談、入学条件から、大学選びの注意点やお勧めの学校を確認できます。 本校が実施する国際交流プログラムのなかで最もハードなものは、このハナ高校国際シンポジウムです。このプログラムは、韓国ソウルにあるハナ高校で毎年夏の5日間にわたって行われる国際シンポジウム(使用言語は英語)です。今年度で9回目の開催となります。 2018年度のシンポジウムには韓国、日本、中国、香港、タイの、5か国260名の高校生が参加しました。日本からは、鴎友学園女子高等学校、海陽学園高等学校、筑波大学付属高等学校、灘高等学校、早稲田大学本庄高等学院、早稲田大学高等学院が参加しました(本校の参加者は9名)。このシンポジウムには、生徒同士の交流プログラムも数多く含まれています。ハナ高校生宅でのホームステイ、文化交流のパフォーマンス、多国籍グループに分かれてソウル市街を探検する研修 などを通じて生徒たちは友好を深めていました。シンポジウムに集う東アジアの生徒たちはみな本当に魅力的で、「高等学院の小さな世界が全てだった私にとって、刺激的でとにかく楽しい毎日でした」と参加した学院生の一人が話してくれました。これまでハナ高校国際シンポジウムに参加した歴代の生徒たちは、その後、大学で、社会で、それぞれに大きく飛躍しています。年間留学に挑戦する者から、NPOを立ち上げる者、起業する者まで、シンポジウムでの経験とネットワークを核にして、めざましい活躍を続けています。   韓国の高校 (青) 2014-05-10 00:13:07 ハナ高校はハナ銀行のハナ金融グループが創設した学校ですから、金はあるんでしょうね。 個人的には、李明博さんの肝いりでスタートした、職業高校の専門性を高めた「マイスター高校」の成り行きも、気になるところです。 この記事へのトラックバック一覧です: 受信: 2006年2月17日 (金) 00:43 コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

本校が実施する国際交流プログラムのなかで最もハードなものは、このハナ高校国際シンポジウムです。 参加者に求められる英語力の高さ、調査能力の高さ、異文化コミュニケーション力の高さは、普段の学校生活ではほとんど求められない、妥協が許されないレベルのものです。 ジョーンズとダニエルス校長の働きにより、ラジオはハナ高校の名誉卒業生として表彰を受け、以後もハナ高校の2年生にラジオが望む限りずっと居ていいことになる。ラジオは50代を過ぎてもハナ高校の2年生として町中の人気者として生活している。ジョーンズはサウスカロライナ州のコーチの殿堂入りを果たした。教職は退いたあともラジオとの友情はずっと消えなかった。 早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/school/shs/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。対応ブラウザについて いつしか恒例になっていた日曜日の教会でのミサでジョーンズはラジオに「進級していつしか卒業しないか」と提案したものの、ラジオは「ずっと2年生がいい」と聞く耳を持たなかった。その夜ジョーンズ一家は生徒の保護者とダニエルス校長とで開かれているデル&ドン理髪店での集会を訪れた。フランクは「ラジオは社会に迷惑であり、生徒には脅威そのもの」と批判した。ジョーンズは皆の前で「ラジオがここ数カ月で学んだことに関心のない人もこの中にいると思うが、ラジオの学んだことよりも我々がラジオから学んだことの方が多いのではないか。もちろんアメフトの成績が落ちたことについては納得していない。だから私はヘッドコーチを降りる。しかし、もし許されるなら教師は続けたい。ラジオが問題に巻き込まれないように見守りたい。そして何年もほったらかしにしていた家族と過ごしたい。アメフトは大好きだが家族はもっと大切だ。」と言い残しデル&ドン理髪店を後にした。