2017.01.20 「熊本には三つの宝がある。そう語るのは熊本県知事・蒲島郁夫さんです。ゆるキャラブームを超えて、日本のみならず世界で愛されるキャラクターとなった「くまモン」。そして2016年4月14日に発生した熊本地震。震災を契機に、あらためてくまモンの存在は、県民にとっていなくてはならないものになりました。今回、熊本県庁 くまもとブランド推進課の主幹である四方田亨二さんにたっぷりとお話をうかがいました。あなたが知らないくまモンの姿がきっとみえてくるはずです。  今回お話をうかがった四方田(よもだ)亨二さん(商工観光労働部 観光経済交流局 くまもとブランド推進課 主幹 ブランド推進担当) 2011年3月に九州新幹線が全線開通。それを前年に控えたタイミングで「くまモン」は、PRキャラクターとして2010年3月に誕生しました。「くまもとサプライズ!」というキャンペーンのアドバイザーを務めたのが小山薫堂さん、デザインを手がけたのがデザイナーの水野学さん。そもそも、キャンペーンのロゴマーク提案時にオマケとしてくっついてきたのがくまモンなんですよ(笑)。    くまモンといえば熊本のご当地キャラクターというイメージが広く浸透した今では意外かもしれませんが、くまモンが最初に認知され、その人気に火がついたきっかけの土地は大阪なのだとか。当初は熊本との関係さえ伏せた上で、くまモンは独立した謎のキャラクターとして活動していました。 西日本では割と知られている話なんですけどね(笑)。「くまモン」は大阪にPRするためのキャラクターとして、徹底的に大阪に出張し、活動していました。大阪人にウケるためには、面白いことをしなくてはいけません。神出鬼没にあらゆるところにいきなり現れたり、1万人に名刺を配ってみたり、吉本新喜劇に出てみたり。一方、SNSを活用した双方向での情報コミュニケーションにも力を入れていました。 くまモンの人気に火をつけたきっかけは、2010年10月頃。熊本県知事の蒲島郁夫が行った緊急記者会見でした。大阪で1万人に名刺を配るミッションの最中だった、くまモンがとつぜん失踪。目撃したら、「#kumamon」というハッシュタグをつけてツイッターで報告することを呼びかけた「くまモンを捜せキャンペーン」を行ったのです。これがソーシャル上で話題を呼び、大阪で人気者となったくまモンは熊本、そして全国で知られるようになっていきました。 1万人に名刺を配る企画などは小山薫堂さんが一人で主導したわけではなく、当時の職員が一丸となってアイデアを考えて実行しました。蒲島知事はすごくチャレンジ精神の強い方で、よく「皿を割れ」と言います。たくさん皿を洗う人は、その分皿を多く割ってしまうかもしれない。でも皿を割ることを恐れて、洗わないのが一番良くないというんですね「割ってもいいんだ。バンバンやれ」という蒲島知事の言葉のおかげで、職員にチャレンジ精神が浸透しているのでしょう。くまモンは、そのチャレンジ精神の象徴ともいえます。  日本全国、そして世界でくまモンが知られる大きな要因になったのが、いわゆる「楽市楽座」方式の採用でしょう。「楽市楽座」方式とは、くまモンのイラスト利用に関わるライセンス料をフリーにし、許可を受ければ誰でもグッズを無料で作成できること。2013年12月よりライセンス料をフリーにしてから、くまモン関連グッズは全国に爆発的な広がりを見せて、現在では年間の売上が1,000億円を超えています。   ドイツの高級ぬいぐるみブランド「Steiff/シュタイフ」とコラボレーションして生まれたテディベア。1,500体限定でネット販売したところ15秒で完売。価格は一体29,400円。  台湾では歴史的にキティちゃんが確固たる地位を確立していますが、近年ではそれに並ぶくらいくまモンの認知度も高くなってきています。先ほど楽市楽座方式により、許可さえ得ればライセンスはフリーだと説明しましたが、その分グッズ制作のレギュレーションは厳しくしています。ブランド価値を守ることはもちろん、くまモンの「やんちゃな男の子」というキャラクターを崩さないためにも基準を設けていかないといけません。それは我々だけでなく、ファンの方々からも「こんな偽物のグッズがあるよ!」といったご連絡をいただくことがあります。みんなでくまモンを守ろうという意識があるのかもしれません。 ああ(笑)。ああいった事例はホントに多いんです。都度連絡するようにはしていますが、なかなか難しいですね…。    黒歴史というか…(笑)。 本当に初期の初期のモデルで、おそらくイベントにも1〜2回しか出ていないのではないでしょうか。だから県庁にも当時の写真は、一つも残っていないんですよ。  こう言うと黒歴史を認めるようで藪蛇ですが…本当にないんですよ。私も一度だけ生で見たことがありますが、正直ぜんぜん可愛くないと思いましたもん(笑)。重ねて言うようで申し訳ないのですが、公式見解としてはくまモンが努力をして太って、今の可愛いシルエットのくまモンに成長したんです!      日本全国や世界中から熊本を応援してもらって、本当にありがとうだモン。熊本がもっと元気になって笑顔が広がるようにがんばるモン!今日からツイートも再開するモン。これからも熊本をどうぞよろしくお願いしますモン! — くまモン【公式】 (@55_kumamon)      — 森川ジョージ (@WANPOWANWAN)   — ちばてつや原作アニメ「風のように」 (@kazenoyouni_pj) お隣りの県から心配と復活への応援をしております。 — 原泰久 (@HaraYassa) 大きな天災があるたびに自分に出来ることはなんだろう?と思います。少しでも被災された方々の力になれますように。— 神尾葉子 (@yokokamioo)  年末年始から今年にかけて、今のところ一番記憶に新しいのは二年ぶり二回目の出演だという紅白歌合戦でしょうか。また今年から世界に向けて感謝を伝えるプロジェクトを始動させました。これまでご支援いただいた場所に、くまモン自らがお礼に行きたいなと。 復興のステージでいうとまだ最初の段階です。避難所生活は一応すべて解消し、仮設住宅ではあるのですが、一応プライバシーが守られる個別の家に住める状態にやっとなりました。それでも、普通の生活に近い状態にやっとなったという段階でしかないんです。実際には、阿蘇の大きな橋は落ちたままですし、道も通れないようなところがたくさんあります。観光客の皆さんにとっては行きにくいところがまだありますし、漠然とした恐怖やネガティブイメージがあるので、観光客は戻っていません。もちろん徐々には回復していますが、以前のレベルには全然追いついていないのが現状です。ただ、道が悪くても行った先には、元気な観光地がたくさんありますし、そこに来てほしい。熊本城なんかも痛々しい状況ですが、逆にいうと今しか見れない熊本城の姿でもあるので、こうした姿をぜひ見ていただきたいですし、くまモンにも会いに来てほしいですね。 いかがでしたでしょうか? テレビで見かける熊本県の人気キャラクターとして、なんとなく存在は知っていたという人が大半だと思います。失敗を厭わないチャレンジ精神旺盛な知事の下、職員一同で次々とユニークな施策を行ってきました。とりわけライセンス料をフリーにしたこと、ソーシャル上で積極的な発信を行ったことが大きな成功要因でしょう。現在、その経済効果は1,000億円以上と試算され、海外における認知度も日に日に増しています。 震災以降、「くまモン」が改めて熊本にとってなくてはならない存在となっていることが明らかになりました。 最後に熊本を応援する動画「#フレフレくまもと!三百六十五歩のマーチ 熊本バージョン」をご覧ください。頑張れ、熊本!     ジモコロの九州記事まとめと、魅力いっぱいの九州おすすめスポットを紹介した「ジモコロ×九州」のコラボページも是非チェックしてみてください!  『SENSORS』編集長。修士(東京大学大学院学際情報学府)。新卒でリクルートホールディングス入社後、2016年12月にフリーランスのライターとして独立。ビジネス・テクノロジー領域を中心に多くのベンチャー経営者や最先端で活躍する研究者やクリエイターへ取材・執筆を重ねる。『AMP』『FastGrow』『ONE MEDIA』などでパートナーを務める。構成担当『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文、落合陽一共著 SBクリエイティブ【悪の秘密結社】ヒーローショーの裏側を体験取材してきた【キタキュウマン】上へイーアイデムは、アルバイト・パート・派遣・正社員転職のための求人情報を提供する、エリア型総合求人サイトです。Copyright (C) 水野 学(みずの まなぶ、1972年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、 クリエイティブコンサルタント、good design company 代表 。. 今回お話をうかがった四方田(よもだ)亨二さん(商工観光労働部 観光経済交流局 くまもとブランド推進課 主幹 ブランド推進担当) ーくまモンの誕生経緯について改めて教えてください ーえ、オマケだったんですか? 提案当時の資料にオマケで添えられたくまモン くまモンといえば熊本のご当地キャラクターというイメージが広く浸透した今では意外かもしれませんが、くまモンが最初に認知され、その人気に火がついたきっかけの土地は大阪なのだとか。当初は熊本との関係さえ伏せた上で、くまモン … モノの基準値を引き上げていくこと”を目指しクリエイティブディレクションを担当する。 2012-2016年度慶應義塾大学環境情報(SFC)で特別招聘准教授を務める。